日々のつぶやき

2009-08-04

『サマーウォーズ』感想(Twitterまとめ・ネタバレ)

久々のブログ更新がこれというのも何だけど。ほぼ投稿順に。

☆☆☆

『サマーウォーズ』観た。とにかくよく出来た娯楽作だが、情動は刺激されない映画。『ぼくらのウォーゲーム!』を観たことのない人の感想が知りたい。

数年前のSFではネット空間とそのキャラクターは「異界/他者」として描かれたのに対し、『サマーウォーズ』では徹底的に現実と紐付けされた「アバター」として描かれる。

『ウォーゲーム!』でネットで戦う主人公を支援したのは「未知の新世代」としての子供たちだったが、『サマーウォーズ』では普通にアカウントを持っている市井の人々がその役を担っている。この変化が、この10年にインターネットが獲得してきたものでもあるのだろう。

画面一杯に並ぶ変色した手紙や写真の群れは、可視化されたネットワークの姿。そこに介在するのは手紙という近代システムであり、写真機というデバイスであり、電話という情報テクノロジー。

「守るべきもの」が自分→恋人→その家族→地域→国→世界と同心円状に広がる。それを可能にするのは情報テクノロジー。人はネットワークによって生きる。

一家族に社会インフラの担い手と、世界を動かす才能が集うのは、映画のご都合主義でもあるが、平凡な「家族」が市井の人々に支えられた「社会」のアナロジーになっているため。主人公の天才も、人が社会のなかで担いうる何らかの役割に敷延される。

一家族が世界を救う戦いに挑むという発想は、共同性の再発見という非常に健全なテーマに収束する。

その主題の健全性が、時にアニメーションの官能性を抑圧する。

『サマーウォーズ』を高畑ジブリ作品的な健全さから官能性の側へと救い出すのは、観客側の主体的な欲望にかかっている。

そんなわけでケモショタ方面の動向に注目(しない)。

■以下とりとめないメモ

仮想空間が「OZ」というのは、ウテナの「鳳学園=大泉学園」に続く東映のメタファーかな。巨大なるものはすべて東映w

そういえば『サマーウォーズ』を観たのは、リアルOZことTジョイ大泉なのだった。

もう少しルール説明が劇中でなされていたら「花札アニメ」という新ジャンルが開けたかもしれないのに残念。

思った以上にジャンプバトル度が高いのは意外。pixivのサマーウォーズ絵がカズマ/キングカズマ一色になっているのもやんぬるかな。

正直『電脳コイル』以後の仮想現実描写としては古い気もするが、細田印のデザイン性と圧倒的な物量で押し切った感がある。