渋谷にて朝イチの用を済ませた後、帰りの井の頭線を途中で降り、井の頭公園を抜け、上水のほとりを三鷹まで歩く。ほころびはじめた桜、マゼンタそのままの桃、早くも散りつつあるコブシなど、心地よくも花粉を含んだ風に吹かれつつ、前倒し気味の春を全身で楽しむ。鼻がつまっているので香りは希薄だけれど。
鈴木茂が大麻不法所持で逮捕され、はっぴいえんどを始めとする関連作品のリリースと流通が一斉に止められた。
そのことの是非は措き、私が思い出したのは70年代後半に、やはりはっぴいえんどの作品が入手困難だった一時期があったということだ。
もちろんその理由はメンバーの不祥事などではない。URCレコードの活動停止後に販売元となった東宝レコードが倒産し(※)、権利がSMSレコードに移行するまでの期間、「ゆでめん」や『風街ろまん』は音楽市場から消えていた。
その不在期間が後追いのファンの飢餓感を煽り、幻のバンド・はっぴいえんどの伝説化を助長したのではないかと想像する。中古盤を探すか、ラジオを偶然耳にするか、先輩や友人の所有するレコードを回し合うしか直接に音に触れる手段のない状況下に、商業作品の流通とは別の回路で伝説は維持され育てられていたのだ。
私が初めてはっぴいえんどの音に触れたのも、そのような時期に放送された、森永博志氏担当『サウンド・ストリート』でのはっぴいえんど特集によるものだった。初めて聴いた「はいからはくち」の大瀧詠一の異様なヴォーカルや松本隆の言葉の毒、そして鈴木茂の鋭く切れ込むギターには、わかりやすいロックの魅力が溢れていた。だが、より深く印象に刻まれたのは、細野晴臣作品「夏なんです」の、白い闇にも似た底知れない空虚の広がりだった。安全で微温的な「喫茶ロック」として消費される21世紀のはっぴいえんど像とは違う、アングラの香りがそこにはあった。
今、奇しくも同じようにはっぴいえんどの作品が市場から消えつつあるなかで、若い音楽ファンが初めてその音楽に接するのは、YouTubeやニコニコ動画の「作業用BGM」であるかもしれない。音域の限られた動画ファイルから流れるはっぴいえんどは、かつてモノラルの深夜ラジオから溢れ出した剣呑さを、ロック親父御用達の高音質紙ジャケCDから奪い返すことができるだろうか。
その音源がよりにもよって徳間ジャパンの、ある意味でレアなリミックスを施されたボックスセットのものだったとしても。
※この東宝レコードの倒産により入手不能となった四人囃子の名盤『一触即発』(74年)には、80年代末にCD復刻されるまで中古市場でプレミアが付いていた。
日々のつぶやき
2009-03-23
会えない時間が愛育てるのさ
買い物メモ:書籍編(1〜3月 順不同)
といっても本は全然読んでなかったり。困ったもんだ。
米澤穂信『秋期限定栗きんとん事件』上・下巻(創元推理文庫)
小市民シリーズ第3作。瓜と狐の間には、たった3画にして超えられない壁が存在することを、狐のつもりが瓜でしかない読者に思い知らせる話。私は瓜の側に立つ(不本意ながら)。
堀江敏幸『おぱらばん』(新潮文庫)
折々のできごとが導く書物の記憶が、過去や異郷の記憶を連れてきて、今ここにいることの自明性が揺らぎ出すという作者のいつものアレ。その語りの胡散臭さも含めた完成度は本作が最も高いかも。
そんなことよりいつものアレといえばコレ。
あるいは事件以来たびたびすれ違っていた、黒い髪のロシア娘に年甲斐もなく恋したとでもいうのだろうか。(略)
彼女をください、あれは私の少女です、洋梨を盗んだ私の少女なんです……
毎度ながら、堀江先生のガチロリっぷりには頭が下がります!
あと自分で買った本じゃないけど、実家にあったので。
トム・ロブ・スミス『チャイルド44』上・下巻(新潮文庫)
スターリン体制下のソ連では存在しないはずのシリアル・キラーを追う捜査官の苦闘を描いて大変面白かった。とはいえ、これはやはりロシア人によって書かれるべき物語でなかったかとは思う。作者が20代イギリス人のテレビ脚本家ということを知れば「歴史の後出しジャンケン」というか「お笑い北朝鮮」的な色眼鏡を感じなくもない。本書がロシアで禁書扱いとなったのは、政治的脅威よりも「俺たちがスターリンを批判するのはいいが、お前らが笑いものにするのは許さん!」という愛国心の発露ではあるまいか。
2009-03-22
買い物メモ:CD編(1〜3月 順不同)
バンバンバザール『+』(05年)
クラムボン『まちわび まちさび』(00年)
同『ドラマチック』(01年)
シンバルズ『ザッツ エンタテインメント』(00年)
スクービードゥー『ビューティフル デイズ』(04年)
フライングキッズ『ホームタウン』(95年)
Jungle Smile『林檎のためいき』(98年)
高野寛『相変わらずさ 〜Best Songs 1988-2004〜』(04年)
Char『CHARACTER』(96年)
坂本龍一『グルッポ・ムジカーレII』(93年)
以上、帰省先の函館で、文教堂のレンタル処分ワゴンから10枚千円にて購入。シングルCD20枚で500円というワゴンも隣に並んでいたのだが、何せ20枚単位でしか売ってくれないという強者ぶり。冨田ラボの手がけた鈴木亜美のCDとか欲しかったんだけど、そのためには無用な19枚のCDを購入しなければならず断念(レンタルのステッカーが貼ってあるので転売も不可)。敷居が低いのか高いのかわからない。
MAHALIA JACKSON/HE'S GOT THE WHOLE WORLD IN HIS HAND ('87) ※50年代のライヴ盤。250円
BILLY PRESTON/THE BEST ('82) 500円
JELLYFISH/BELLYBUTTON ('93) 500円
FAUST/RAVVIVANDO ('99) 500円
生田敬太郎『風の架け橋』(74年)500円
Lamp『木洩陽通りにて』(05年)500円
以上ブックオフにて購入。
吉川忠英『こころ』(74年)1470円
ピコ『abc』(72年)1470円
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ『ソープ・クリーク・サルーン』(77年)1050円
青山陽一『AOYAMA YOICHI SINGS WITH THE BLUE MOUNTAINS』(90年)625円
PANICSMILE『E.F.Y.L.』(98年)714円
ミッキー・カーティス『耳』(72年)945円
ラリーパパ&カーネギーママ『LASY ALBUM』(03年)473円
TAJ MAHAL/MO' ROOTS('74) 756円
以上、吉祥寺ディスクユニオンにて2度にわたり購入。
買い物メモ:漫画編(1〜3月 順不同)
岩本ナオ『町でうわさの天狗の子』3巻(小学館)
渡辺航『弱虫ペダル』4、5巻(秋田書店)
同『まじもじるるも』3巻(講談社)
同『制服ぬいだら』6巻(講談社)
蒼樹うめ『ひだまりスケッチ』4巻(芳文社)
かずまこを『純水アドレッセンス』(一迅社)
吾妻ひでお『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店)
イシデ電『月光橋はつこい銀座』(幻冬舎)
入江亜季『群青学舎』4巻(エンターブレイン)
岩岡ヒサエ『土星マンション』3、4巻(小学館)
紺野キタ『つづきはまた明日』1巻(幻冬舎)
林家志弦『はやて×ブレード』9巻(集英社)
岩原裕二『学園創世猫天!』5巻(秋田書店)
kashmir『デイドリームネイション』2巻(メディアファクトリー)
小玉ユキ『坂道のアポロン』3巻(小学館)
よしながふみ『大奥』4巻(白泉社)
勝田文『プリーズ、ジーヴス』1巻(白泉社)
石黒正数『それでも町は廻っている』5巻(少年画報社)
桂明日香『ハニカム』2巻(アスキー・メディアワークス)
中村明日美子『曲がり角のボクら』(白泉社)
『ユリイカ』2009年3月号 特集*諸星大二郎(青土社)
あと、現在唯一の購読雑誌であるところの『週刊少年チャンピオン』!
2008-08-06
さびしい王様
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 —宮崎駿のすべて〜「ポニョ」密着300日〜』を観た。心に引っ掛かって仕方がないのが、『カリオストロの城』から『風の谷のナウシカ』に至る数年の空白期を語った部分で、宮崎駿が漏らした一言だ。
「あのスタッフがいちばん良かった」
インタビュアーはスルーしたが、誰にともなく呟くように、この言葉を宮崎は2度繰り返したのだ。
「あのスタッフ」というのは、『未来少年コナン』で出会い、『カリオストロの城』に流れ込み、「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」そして『名探偵ホームズ』をともに作ったテレコム・アニメーション・フィルムのスタッフのことだろう。近藤喜文や友永和秀、山本二三ら若い、しかし宮崎と10歳ほどしか違わない精鋭たちが集い、しかも宮崎を見守るように大塚康生が鎮座していた当時のテレコムは、宮崎に従うだけのイエスマンの集団ではなかった。「さらば愛しきルパンよ」製作時の『アニメージュ』座談会では、宮崎の特異な女性観や感覚の古さをも肴にし、『ホームズ』試写では「これだけ手間をかけたのだからもっと情感などほしい」と感想を述べたという。宮崎以外のスタッフがイメージボード(アイデアスケッチ)を提出したのは『ホームズ』だけではなかったか。そこには宮崎に迫ろうとする若い世代と、宮崎をフォローする先行世代の、理想的な「仲間たち」がいた。
「ここで企画を通さなかった者たちには怒りを感じますね」
宮崎は真顔で言い放つ。当時最強のスタッフは、しかし藤岡豊社長の「『リトルニモ』を海外との共同製作で世界公開する」という妄執にも似た夢に翻弄され、スタジオの旬を失ってしまった。その宮崎の無念は、当時同時公開された『ナウシカ』と、テレビアニメ『ホームズ』との歴然たる完成度の違いを見ても察して余りある。もし『ナウシカ』が、松本アニメや富野アニメのSFアニメ全盛期にテレコム製作で発表されていたら、その後の歴史はどうなっていただろうか(もっとも『ナウシカ』は、急揃えのスタッフによる画面の凹凸が魅力でもあるのだが)。
今の後継者のいないスタジオで、創作のコアをただ一人で支え続ける宮崎駿。スタッフの福利厚生に努め、子供に優しい笑顔を振りまく一方で、スタッフを罵倒し、すべての原画を修正し、あるいは完成原画を一目見て修正もせずゴミ箱に捨てる宮崎駿。民主的な仲間同士の繋がりを求めながら、結局は抑圧者として振る舞わざるを得ない、孤独な独裁者としての宮崎駿の顔が、隠蔽しようもなく立ち上がってくる。もしテレコムが成功していたら、せめて近藤喜文が生きていたら、今の宮崎の孤独はなかったのではないか。
その孤独感は、かつての同僚・奥山玲子の死に触れた部分で頂点に達する。「(夫の)小田部(羊一)さん、隠してたんだよ」とやり場のない憤りを漏らし、「俺の周りは櫛の歯が欠けたようだ」と、対等の「仲間」が去っていく悲しみを露にする。イエスマンに囲まれた寂しい王様が、夕焼けを見ながら「死んじゃったら夕焼けも見れないねえ」と呟く姿がもうやりきれない。番組の基調には「『ポニョ』に秘められた母への想い」「仕事にかける命がけの真剣勝負」という「いい話」に収束させようとする意図が窺える。にもかかわらず番組全体から漂うのは「巨匠の晩年の孤独」と、「どれほどの想いを込め、どれほどの努力を費やそうが、作品は出来上がったものが全て」という、「プロフェッショナルの残酷さ」だ。
「人を楽しませたい」という願いと、その成就が自分の存在意義と宮崎駿は語る。私は『崖の上のポニョ』を楽しんだが、その楽しみはこの番組によって、また複雑に苦味を増してしまった。