日々のつぶやき

2009-05-17

人工生命M1号

木造モルタルの古びた寄宿舎の、複雑に入り組んだ廊下を手繰り、割り当てらしき部屋に入る。するとなぜか女子2人と相部屋。しかも私は学生ではなく、現在のハゲヒゲ上下逆さ面の中年男のままだ。こちらを怪訝そうに眺めつつ「なにあれキモーい」とささやき交わす内容があからさまに伝わり赤面する。次第に女子の数が増え始め、ますますいたたまれずドアの外に出ると、部屋番号が目に入る。どうやら部屋を間違えたらしい。あわてて荷物を抱え飛び出すと、背中に侮蔑を込めた笑いが降りかかってきた。

——というところで目が覚めた。問題は、どうやらこれが淫夢だということだ。マゾ?

2009-05-15

Scatterbrain

今朝も早よから父と自転車並べスーパーの朝市へ。ほぼ快晴だが風は冷たく、手袋なしにはハンドルを握れない。開店前のパチンコ屋の前にたむろする若い衆を横目に、緑なす河川敷の脇を抜けてスーパーに到着。我々が列の一番前だったが、ドアが開くや背後のジジババがラッシュ、ガシガシ当りながら追い抜いていく。奴らフィジカルもメンタルも強いわー。とはいえ無事に醤油1.8リットル195円を2本と、甘口紅葉子(たらこ)100g195円を300gゲット。やりとげた達成感を胸に、ぬるみ始めた空気を掻き分けつつ帰宅。ついでに買ったかりんとうをかじりながら書いている。

そういや店内BGMが、ジェフ・ベック「スキャッターブレイン」全パートをシンセで作り直した不思議な代物だったが、例の高速ユニゾンのところとか作り手の情熱を感じて面白かった。この手のBGMでは80年代MTV時代の洋楽ものはわりと耳にするんだけど、70年代は珍しいか。昼間どころか朝からスーパーに並ぶような、洋楽ファンの中年客の需要を見越したのに違いない。なんというニッチ。ないか。


かの伝説的なウドーフェスでの演奏。SCATTERBRAINでこれが検索トップというのも凄い。

2009-05-14

CD消化中

消化中って何のノルマだよ。

YOU『南向き』(96年)
フェアチャイルド時代の戸田誠司流エレポップから遠く離れて、曲提供者と演奏陣の異様な豪華さと振り幅に驚いた。本人がプロデューサーに名を連ねており、当時の音楽に向かう意欲の高さを思わせる。YOUのロリータ声と、現在のイメージからはずいぶん遠い乙女な歌詞が、メンツから想像するより手堅い楽曲と編曲に似合う、とてもよく出来たポップアルバム。そのぶん存在感はバンド時代より薄れているようにも思う。キリングタイム勢をはじめとする多士済々の中、聴けばその人と一発でわかる鈴木茂のスライドには心躍らされた。そのギターの聴ける「悪い人」がベストトラックかもしれない(いや、どれも普通にいい曲なんですよ)。

いい人なんて嫌い 私を傷つけてもくれない
頭で言葉選ぶのは もうひとつ嘘をつくようなもの
いい人なんて嫌い 私との恋が終わる時
悪いのは僕なんて言うから 自意識過剰だって思う

なんて歌詞は今だと、肉食系女子からの草食系男子に対する叱咤に聞こえたりも。
全般に塩谷哲編曲の、ポップスに少しだけ異国の風を吹き込むようなセンスが光る。

殊能将之先生の

農業ブーム便乗映画企画が面白。(リンク先の下の方)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0905.html
特に「監督が〜」のくだりで笑った。ていうかこのネタで新作を書けばいいのに。こうした顛末とは一切無関係に、石動戯作探偵の的外れな推理劇が展開するみたいな。犯人は田中義剛(ネタバレ)。

2009-05-13

購入メモ

漫画
こうの史代『この世界の片隅に』下巻(双葉社)
全3巻まとめて読み返したいのに手元にないのがもどかしい。人が生きる日々の営みは「その時」を過ぎても、失われたものとともに緩やかに続いていくことを描いて、井上光晴『明日』を超えたのではないかと思う。

桜井のりお『みつどもえ』7巻(秋田書店)
とらのあなの特典イラストカードかなり欲しいんですけど! 東京に戻ったら買い直そうかなー。しかし吉祥寺店は知らぬ間に潰れていたのだった。それにしてもチャンピオンコミックスの品質は紙といい印刷といいカラーページといい素晴らしい。手書き文字の「ママにボクのブリーフをはかせてみました」もはっきり読み取れるよ! マーベラス!

CD
YOU『南向き』(96年)
ショコラ『ハムスター』(99年)
リップスライム『TOKYO CLASSIC』(02年)
THE BRAND NEW HEAVIES/SAME ('90)
FUGEES/BLUNTED ON REALITY ('94)
ARRESTED DEVELOPMENT/THE HEROES OF THE HARVEST ('01)
NIKKA COSTA/CAN'TNEVERDIDNOTHIN' ('05) ※CCCD

以上、文教堂のレンタル流れワゴンで各100円。まだ聴いてない。

2009-05-12

不良少年のキリスト

忌野清志郎の告別式で、遺族の前に故人のギターを掲げて立った仲井戸麗一に対して、取材カメラマンが「(遺族が)見えないよ」と注意し、チャボがしょんぼりとギターを下ろしたというニュースが、ネット上で話題となり怒りを買っている。

http://www.hamatyuu.no-ip.com/up_loader/img/up833.jpg

これに対しては、清志郎に近かった記者が、現場にいた自分には聞こえなかったし、悲しみに沈むチャボの耳には届かなかっただろう、と、ファンの加熱を牽制するような証言を行っている。

http://blue19812nd.blog50.fc2.com/blog-entry-786.html
(rickdomで知った。http://www.rickdom.com/archives/002131.html

この一件が事実かどうかは、あまり重要ではないだろう(東スポの記事以外に情報源が見当たらないことだし)。ただし、いわゆる「マスゴミ」に対する、ネットでありがちな吹き上がりというのとも性質は違う。

みんな、この失礼なカメラマンに存在していてほしいのだ。チャボに、心無い言葉に傷ついてほしいのだ。そして、彼の傷と屈辱を、自分のものとしたいのだ。なぜなら、そのような傷と屈辱を受け続けることが、「ロック」の存在価値であるからだ。

20年も昔に読んだ、あるパンク系のミュージシャンのインタビューで、今でも印象深い言葉がある。

「本当に人を傷つけるパワーのあるヤツは、ロックなんて聴かない。赤いスポーツカーに乗ってサザンとかユーミンとか聴いてますよ」

「サザンとかユーミン」はロックではないのか、批判されるべきかはここでは問わない。ここでロックというのは、赤いスポーツカーに乗ってサザンとかユーミンとか聴く奴らに、蔑まれ傷つけられるために存在する、負性の表現なのだ。そしてその負性を自らのものとして引き受け、生きるためのエネルギーに反転させるものも、またロックなのだ。そこにはただの怒りや自虐とは違う、共感に基づいた励ましがある。

mixiの清志郎コミュに、清志郎の死に寄せたミュージシャンや著名人の追悼コメントをまとめるトピックが立っている。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42253243&comm_id=7765

私はこれを編集者の渡辺祐さんのブログで知った。

http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20090510

この紹介エントリ自体がネット時代の優れた編集論として成立している。個人的な思いとしては、見逃してくれよと思う。言葉は吐き出された瞬間から、誰かに伝わり影響を与えることを夢見るものだろう。対価を得ることはその次だ。そして一度野に放たれた言葉が広がることを押しとどめることはできない。少なくともネット上で発表されたものならば、リンクと発言者の同一性が保たれているならば、広く共有されてこそ本望というものだ(リブログの思想はそういうものだろう)。商業媒体に載った発言に対しては、書籍化でもされるならともかく、それこそ見逃してくれよとしか言えない。

閑話休題。
この追悼まとめトピックに寄せられた言葉の多くは、清志郎と同時代に生きたミュージシャンたちによるものだ。そこにはオールドロッカーもパンクスもメタルもビジュアル系もBボーイもわけへだてなく存在している。いかれた格好の、世間からはみだした人間たちこそ、忌野清志郎に最も影響され、彼を必要とした者たちだ。

細野晴臣や大瀧詠一は、さまざまな音楽体験の入り口となりうる伝統を背負っているから素晴らしい、という、音楽ファンにありがちな言説がある。その伝で言うと忌野清志郎は、サザンソウルの伝統を日本語のヴォーカリストとして血肉化したから素晴らしい、という評価の在り方になるだろう。そうかもしれないが、それだけじゃない。むしろそれ以前に「音楽ファン」が一段下に置くような(そして残念ながら、私もしょせんその類いだろう)たくさんのバンドマンやラッパーたちが憧れ、生き方の範とした事実が重要なのだ。忌野清志郎の音楽は彼らのものだ。そして、誰のものであってもいいのだろう。「お前のものじゃない」なんて言わなければ。だから私も、清志郎のファンの末席にいさせてもらいたい。

告別式の日、カメラマンの罵声を浴びたというチャボのストーリー(そう、「ストーリー」)は、あまりにロック的だ。大切な場所で傷つけられ辱められたチャボは、あの時、彼の後ろにいる無数のはみ出し者や与太者たちに代わって、傷つけられ辱められたのだ。清志郎のぶんまで十字架を背負わされたチャボの重さは計り知れない。それでもいつか、この新しいブルースが仲井戸麗一の体を溢れ出して、その声とギターを震わせる日が来るだろう。

2009-05-11

けいおん!5、6話

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/

北海道では放映が2週遅れなのでゴニョゴニョ。

5話。ピロウズの人が覚醒してアホの子がデス声にチェンジする話。「萌え萌えキュン」の破壊力が(悪い意味で)強力だったので相当萎えてたんだけど、ちょっと回復。許せるベタと許せないベタの境界って何だろうと考えたら、そのベタが前提とする共通理解がどんなコミュニティに由来するかによるのかなあと思った。当たり前のこと言ってますか私。あと眉毛の人の属性が『みつどもえ』の眉毛の人とかぶってた。愛の形は人それぞれだよね!

6話。学園祭で黒髪ストレートがステージフライトで縞パンでなく縞ゴハンな話。「ライブアライブ」をもう一度はやれない、というのはわかった(あれヤマカンだしな)。演奏が上手すぎるのは、物語上の整合性よりも商品としての完成度を優先せざるを得なかったのかしら。好意的に考えれば、あのPV的なイメージ映像は「これは彼女たちの脳内で鳴っている理想の音で、実際にはもっとしょぼいんですよー」というエクスキューズかもしれない。で、その幻想に唯のデス声という現実が介入してくるという。にしても、1話と2話で見せた「ベタを超える新しい何か」の水準をまだ期待していてもいいのだろうか。そして、ギターを持った唯がおもむろに椅子に座るや、「うん・たん、うん・たん」と呟きつつメカニカルなシーケンスを猛スピードで弾き倒し、「変拍子に聞こえるけど、ただの4拍子なんですよ〜」とかへろへろ声で答える場面は来るのだろうか(来ねえよ)。