日々のつぶやき

2008-06-19

夕食

食事を作るのが億劫になってガスト。シーフードドリアにドリンクバー。米澤穂信『クドリャフカの順番』(角川文庫)を再読。雨の日に10%引きになるチケットをもらう。やったね、明日はハンバーグだ!(ガストの)。雨よ降れ。ついでに3の付く日と3の倍数の日に30%引きになるサービスもあればいいのに。潰れるか。

センスなし

先日宮崎貴士さんとお会いした際にいろいろと四方山話をしつつ、当然話題は秋葉原の事件にも及んだ。

加藤容疑者の残した言葉は、一見するとネット上の非モテ論者の言説に似ている。しかし(私の理解によると)非モテ論というのは概ね「お前らまた電通様の言いなりですか。リア充(笑)スイーツ(笑)」といった、反(恋愛)資本主義、脱消費社会的な体裁を取っていたのではなかったか。
加藤の、女が欲しい金が欲しい車が欲しいという、まさにリア充を目指す欲望のベクトルは、むしろネットの非モテメンタリティの対極にある。消費社会の圧力に抗する「攻性防壁」としての非モテの論理が、加藤にとっては何ら機能していないばかりか、ひどく劣化した形で欲望と怨念を正当化する裏付けとなってしまった。
その捩れに誰も突っ込みを入れる者がない寂しい場所(携帯掲示板)を、よりにもよって選んだ加藤の「センスのなさ」。処刑された宮崎勤にも感じたが、加藤はオタクとして、あるいは消費行動、服装、ネットコミュニティ選びと、全方向的に決定的にセンスを欠いている。金も女も友達も仕事もなくても、センスがあればそれなりに楽しく生きられる。この「センスのなさ」が何よりも致命的だ。そうしたセンスを磨くには何らかのコミュニティに属するしかないが、コミュニティに属するにはセンスが要求される。堂々巡りだ。
だが、あえて空気を読まず突入することで、罵倒されいじられ突っ込みを受ける、そうした形でコミュニティの中で居場所を得るという行き方もあったはずなのだ。加藤には車よりも携帯電話よりも、一台のパソコンがあればよかったのかもしれない。同じネットでも、パソコンと携帯電話の間には大きな距離がある。その距離を、加藤にとって本当に役に立ったかもしれない言葉は越えられず、変質し毒となりかえって心を蝕んでいったのではないか。

というような話を世間話の合間にしたりしなかったり。新バンド「図書館」の動向など伺う。野望が実現するといいですね!