日々のつぶやき

2009-08-07

『サマーウォーズ』に主人公側のドラマを加えてみる

もしも健二にとって「数学の才能」が「呪い」だったとしたらどうだろう?

☆☆☆

体育会系で会社人間の父、会社勤めで事なかれ主義の母。抑圧と孤独のもとで育った健二。

スーパーでレジ打ちの計算間違いを大声で指摘する幼い健二。わき起こる笑い。赤面する母。健二を睨み付けるレジ係。母「恥をかかせないで!」

食事時に算数の100点の答案を掲げて自慢気な健二。父「食事に集中しなさい。男がそんなものをむやみにひけらかすんじゃない」

父親の意向で剣道を習わせられる健二。一向に上達せず、後輩にも侮られる日々。

数学教師の間違いを指摘する中学生の健二。以後教師から3年間無視され続ける。

好きな女の子に「数学教えて」と頼まれる。夢中で教える健二。つい「なんでこんなのが分からないの!」泣く女の子。数日後、イケメンと歩いている女の子の姿を目撃する健二。

高校入学。数学の試験問題を入手した不良たちに囲まれ、問題を解くように強要される健二、やむなく協力。やがて不正が発覚、連座して親を呼び出される。父に殴られ、母は泣く。

(主人公補正)意地で断り、不良にフルボッコ。そこを、竹刀を振るう夏希に救われる(健二に狂言を依頼する伏線)。

本人は乗り気でなかったが、数学教師の勧めで数学オリンピック予選に出場。呪わしい数学の才能が、実はありふれたものと思い知り、しかも本選に進めず。唯一の拠り所を失う健二。友人「数学だけがとりえだと思ってたのになあ」健二「……」

長野の陣内家。携帯に届いた謎の数字の列を、オリンピック落選の憂さ晴らしに解いてしまう健二。そしてOZの大混乱。健二「また数学のせいで、ろくでもないことに……!」

——以上の身の上を夏希に話す健二。だがそのヘタレぶりを一蹴される。夏希「あんたに数学のできない人の気持ちが分かるの?よく何もとりえがないとかいえるわね!どんだけ上から目線!(観客の代弁)」
「数学しかできないんなら、数学でできることを何か考えなさいよ!」

こいこいステージ。世界中のアバターを背負いながら、最後の決断に悩み苦しむ夏希。
そこに健二、自信あり気に「大丈夫、先輩、これで合ってますよ!」
夏希「(健二くんが計算してくれたんだ! 大丈夫!)」
そして勝利。だがしかし
健二「えっ、ボクは夏希先輩を信じてただけですから! こいこいの結果予想なんてムリムリムリムリ」
思わず健二を殴る夏希。

そして、ラストで数学の能力を全肯定、全解放。
→呪いの解除、社会(家族)からの承認

☆☆☆

……というようなフォローがあったなら、「リア充死ね」という非モテの怨嗟の声をそれほど浴びることもなく、大家族に憧れる理由付けともなり、『時かけ』の「高瀬くん問題(いじめに切れて消火器を振り回す人)」への一定の回答にもなり、『ぼくらのウォーゲーム!』とはまた違うカタルシスが生まれたのではないか。

まあ後知恵で何とでも言えるわけだけれど。それにしてもPixivでサマーウォーズ絵を描いているのがほとんど女性であり(しかもカズマ/キングカズマが大部分を占める)ネット上で映画を罵っているのが男性に集中しているのを見るにつけ、細田守はある意味勝者だなあと思わずにはいられない。

ところで本作での大家族礼賛に対する「我々はそれがイヤで核家族を選んだのではないか」という批判を見かけたが、ここでの「大家族」は「縮小された社会」に等しい。家族から逃げても「口うるさい小舅」や「セクハラおやじ」「DQNないとこ」はどこにでも存在している。逆に言えばこの社会が「拡大された家族」なのであり、どこにも逃げ場はない。細田守は東映アニメーションという旧弊な大会社で、戦うことでのみ製作条件を勝ち取ってきた人だ。「抑圧のない場所で人が育つわけがない」と言い切る彼は、宮崎駿同様に戦闘的な個人主義者であり、「ネットで言葉を吐いてるような奴が個人主義とかw」などとうそぶいているのかもしれない。そのメンタリティはDQN的とさえ言えよう。村上隆と仲良いのは案外そのあたりの共通性にあるのかも。