日々のつぶやき

2008-08-06

夕食

夕食はミネストローネ風スープスパゲティ。ぶつ切りソーセージ、1.5cm角切りのじゃがいもとキャベツ、みじん切りの人参・大蒜・椎茸、潰したホールトマト、折り入れたパスタ、コンソメ、胡椒、ケチャップ、バジルを一つ鍋にて中火で煮込み完成。ガステーブルが壊れてコンロが1口しか使えなくなり、複数の料理を作るのが面倒になってしまった。

さびしい王様

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 —宮崎駿のすべて〜「ポニョ」密着300日〜』を観た。心に引っ掛かって仕方がないのが、『カリオストロの城』から『風の谷のナウシカ』に至る数年の空白期を語った部分で、宮崎駿が漏らした一言だ。

「あのスタッフがいちばん良かった」

インタビュアーはスルーしたが、誰にともなく呟くように、この言葉を宮崎は2度繰り返したのだ。

「あのスタッフ」というのは、『未来少年コナン』で出会い、『カリオストロの城』に流れ込み、「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」そして『名探偵ホームズ』をともに作ったテレコム・アニメーション・フィルムのスタッフのことだろう。近藤喜文や友永和秀、山本二三ら若い、しかし宮崎と10歳ほどしか違わない精鋭たちが集い、しかも宮崎を見守るように大塚康生が鎮座していた当時のテレコムは、宮崎に従うだけのイエスマンの集団ではなかった。「さらば愛しきルパンよ」製作時の『アニメージュ』座談会では、宮崎の特異な女性観や感覚の古さをも肴にし、『ホームズ』試写では「これだけ手間をかけたのだからもっと情感などほしい」と感想を述べたという。宮崎以外のスタッフがイメージボード(アイデアスケッチ)を提出したのは『ホームズ』だけではなかったか。そこには宮崎に迫ろうとする若い世代と、宮崎をフォローする先行世代の、理想的な「仲間たち」がいた。

「ここで企画を通さなかった者たちには怒りを感じますね」
宮崎は真顔で言い放つ。当時最強のスタッフは、しかし藤岡豊社長の「『リトルニモ』を海外との共同製作で世界公開する」という妄執にも似た夢に翻弄され、スタジオの旬を失ってしまった。その宮崎の無念は、当時同時公開された『ナウシカ』と、テレビアニメ『ホームズ』との歴然たる完成度の違いを見ても察して余りある。もし『ナウシカ』が、松本アニメや富野アニメのSFアニメ全盛期にテレコム製作で発表されていたら、その後の歴史はどうなっていただろうか(もっとも『ナウシカ』は、急揃えのスタッフによる画面の凹凸が魅力でもあるのだが)。

今の後継者のいないスタジオで、創作のコアをただ一人で支え続ける宮崎駿。スタッフの福利厚生に努め、子供に優しい笑顔を振りまく一方で、スタッフを罵倒し、すべての原画を修正し、あるいは完成原画を一目見て修正もせずゴミ箱に捨てる宮崎駿。民主的な仲間同士の繋がりを求めながら、結局は抑圧者として振る舞わざるを得ない、孤独な独裁者としての宮崎駿の顔が、隠蔽しようもなく立ち上がってくる。もしテレコムが成功していたら、せめて近藤喜文が生きていたら、今の宮崎の孤独はなかったのではないか。

その孤独感は、かつての同僚・奥山玲子の死に触れた部分で頂点に達する。「(夫の)小田部(羊一)さん、隠してたんだよ」とやり場のない憤りを漏らし、「俺の周りは櫛の歯が欠けたようだ」と、対等の「仲間」が去っていく悲しみを露にする。イエスマンに囲まれた寂しい王様が、夕焼けを見ながら「死んじゃったら夕焼けも見れないねえ」と呟く姿がもうやりきれない。番組の基調には「『ポニョ』に秘められた母への想い」「仕事にかける命がけの真剣勝負」という「いい話」に収束させようとする意図が窺える。にもかかわらず番組全体から漂うのは「巨匠の晩年の孤独」と、「どれほどの想いを込め、どれほどの努力を費やそうが、作品は出来上がったものが全て」という、「プロフェッショナルの残酷さ」だ。

「人を楽しませたい」という願いと、その成就が自分の存在意義と宮崎駿は語る。私は『崖の上のポニョ』を楽しんだが、その楽しみはこの番組によって、また複雑に苦味を増してしまった。

2008-08-04

ポーニョポーニョポニョ

『崖の上のポニョ』を観た。1度目は公開2日目にTジョイ大泉のレイトショー1200円で。2度目も同劇場で、映画の日に千円で。自転車で行ける距離にあるDLPシアター、しかもアクセスが微妙に悪いのでそれほど混まないだろうという目論見、案の定入りはどちらの回も7〜8割程度だった。

すでに多くの感想がネットで読めるが、その大部分は賛否どちらにせよ、竹熊健太郎氏と町山智浩氏による評価に概ね沿っているように思える。

竹熊評価 http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_fb6c.html
町山評価 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20080727

なので、私も両氏の論点を参照しつつ、まとまらない感想を並べてみたい。

町山氏が「子を持つ親として『崖の上のポニョ』で許せないこと」として挙げている突っ込みは(「子を持つ親として」という前提の気持ち悪さはともかく)いちいちもっともだ。ただし「自分たちの名前を息子に呼び捨てにさせている過剰に民主主義的な両親」というのはちょっと違うんじゃないか。いや、確かに違和感はバリバリなのだが、それは「過剰に民主主義的」だからではない。思うに、名前呼び捨ては宮崎駿なりの「ヤンキー性」の表現なのではないか。
これまでの宮崎アニメの家族像なら、父親は海洋学者で母親は大学の同級生、研究のために都会から海辺の町に転居、自然に囲まれた生活を満喫している、といった都会のインテリ層を両親に設定しているところだろう。ところが宗介の母親のリサの場合は作中の描写から想像するに、地元のヤンキー商業高校出身で卒業後に介護士の資格を取得、同級生とできちゃった結婚で宗介を生む、というあたりの背景が思い浮かぶ。車で乱暴にワインディングロードを攻め、息子に気を取られて脇見運転し、買い物は郊外のショッピングモール、子供の食事はインスタント、幼い息子の前で夫と争いヤケ酒を喰らい不貞寝する。良妻賢母ではない、母親である前に不完全な女であるリサ。こういう人物像は、郊外や地方のシネコンに車でやって来る若い家族連れの層に、かなり重なるのではないか。別に宮崎駿にそういう山っ気があったとは思わないが、左翼インテリが発想するリベラルな家族像というよりは、ファスト風土に住まうヤンママ一家と見たほうがしっくり来る。少なくともそういう現代性を映画に持ち込もうとしたことは確かだろう。そのリアリティが映画の内容と整合するかはさておき。

一方で町山氏のほかの指摘は非常に妥当なのだが、魚に水道水は禁物だの、雨天の高速運転はハイドロプレーニング現象がどうのといった常識は、宮崎駿だってさすがに知らないはずはない。知っていてそれをあえて無視するのは(映像的な快感を優先したこともあろうが)『ポニョ』をリアル志向のアニメではなく「漫画映画」として作るという意志の表れだろう。しかし、最大の問題はここにある。なぜなら『ポニョ』は漫画映画ではないからだ。
『ラピュタ』や『トトロ』や『紅の豚』が、『長靴をはいた猫』や『パンダコパンダ』や『どうぶつ宝島』にはなれなかった時点で、宮崎はもはや漫画映画を作れないことを自覚していたはずだ。背景画の線を歪ませパステル調に仕立て、自然のエフェクトを手描きの(色トレスではない)実線で描いてみたところで、キャラクターの影を省いたところで、宮崎アニメの表現はそれでも「リアル」過ぎるのだ。そもそも、車種まで特定できそうな軽自動車の助手席にチャイルドシートが据えられているような世界で「漫画映画」を実現するのは不可能だ。にもかかわらず『ポニョ』でもう一度漫画映画を夢見たことが、宮崎の老いだと言っては残酷だろうか。ちなみに一枚絵の書き込みの量を増やすことと、線を簡略化して膨大な枚数を費やすことは、垂直と水平の方向性が異なるだけで「老境のマニエリスム」に違いはないだろう。『コナン』や『ルパン』の3コマ作画の動きの切れが懐かしい。

この「漫画映画の力」への過信は竹熊氏の言う「『この世』と『あの世』の境界が最初から最後まで判然としない」ことの原因だったりもする。特に後半以後にそれは顕著になる。
ポニョ来襲によって水没した町を覆う海の色は、それまでの濃い青やどす黒い津波の色ではない、蛍光グリーンの不思議な色になる。『どうぶつ宝島』で生まれ、『雨降りサーカス』で再登場した、あの懐かしいバスクリンの海だ。溺れても誰も死なない「漫画映画の海」は、しかし直前まで荒れ狂っていた群青の海とは明らかに違う。明らかにリアリティの水準が異なる表現が唐突に接続されることによって、「洪水だけど誰も死んでません」という漫画映画の規範を示すはずの明るい海の色は、それまでの「映画内リアル」に対する「異界(あの世)の標識」として機能してしまう。ドラマ性とは全く関係のない若夫婦との会話や、船で避難する町の人々の暢気さ、子供の夢を具現化したような玩具の船、遊泳する古代魚などなどの描写が「漫画映画のおおらかさ」ではなく、死後の世界の表象、醒めない悪夢のように見えてしまうのは、あの非現実の海の色によるところが大きいのではないか。

ポニョの波乗りを最大のスペクタクルにして、以後全くクライマックスのない展開も、「いつ終わるんだこれ」という観客の意識とも相俟って、また醒めない夢のような不思議な感触に繋がっていく。ただし、これが竹熊氏の言うような、子供映画のふりをした作家の映画なのかといったら、そうではないだろう。
シナリオなしにコンテから筆を起こし、出来上がったところから作画を開始、全体像は(宮崎駿を含め)誰も把握できないまま製作が進み、事実上駄目出しする時間がないまま完成してしまう。製作側は宮崎駿を信じてゴーサインを出すしかない。このジブリ流製作システムでは、スタッフも宮崎のイメージボードの段階からつき合い、コンテを小出しに見せられ、レクチャーを聴き打ち合わせをし……という形で「宮崎駿の思考の流れと自らをシンクロさせる」ことが作業の上で第一になるだろう。つまり、スタッフ全員が宮崎の脳内に住んでいるようなものだから、外部から突っ込みを入れられるはずがない。こういう宮崎アニメの作り方のでたらめさが、たまたま夢の論理のでたらめさと合致したのが近年の宮崎アニメであり、とりわけ『ポニョ』の場合は「アニメ映画」と「漫画映画」のリアリティ水準が混在しているために、シュールさがより激しく強調される結果になったのではないだろうか。

では通常の映画ならどのような見せ場が考えられるだろうか。ここで恥知らずにも2次創作的に「ぼくのかんがえたポニョ後半部」を書いてみよう。


リサが老人ホームへ去った翌朝、船出するポニョと宗介。
若夫婦とのやりとりは省略し、手を振ってすれ違う程度に止める。
避難民の描写も省略(後述)。
暢気な航海の後、発見したリサカー。しかしリサは不在。泣く宗介。
ポニョ、眠い眼を見開き、「宗介、リサんとこ行こう!」と言い放つ。
インスマス面(半魚人モード)で念じるポニョ。
丘の貯水曹がひび割れ、巨大な水が山肌を落ちてくる。水の塊は魚の形になり、ポニョが宗介を魚の上に乗せる。ポニョは魚と一体化。
ポニョ「宗介、走って!」
水の魚にしがみついていた宗介、おっかなびっくり立ち上がり、走り出す。水色の魚が、群青の海の上を泳ぐ。ポニョの妹たちも巨大な水の魚となり、後を追う。町から水が見る見る引いていく。それを高台から息を飲み見守る避難民たち(ここで登場。無事であることを示すため)。
クミコ「あれ、宗ちゃんだ!」と指を差す先には、水色の魚に率いられた巨大波の魚群が沖に向かう姿。

魚の中で泳ぐポニョ、しかし眠たげに眼を閉じようとする。途端に勢いを失う魚。水が張力を失い、沈みかける宗介。
宗介「ポニョ!」必死に走る宗介。眼を開くポニョ。形と勢いを取り戻す魚。
ポニョ「見つけた!」
海中へと潜っていくポニョと宗介。

フジモトのサンゴ塔の中では、好き勝手なことを言う年寄りとリサを相手にフジモトが困り果てている(後半、唐突に「もののわかった母」になるリサに違和感があるため。年寄りたちは皆立ち上がっているが、そのことを自覚していない)。そこに登場するグランマンマーレ。その威容に思わず打たれ静まる一同。

深海へと向かうポニョと宗介。気泡に包まれながら、疲れつつも走りをやめない宗介。しかしポニョが力を失い、人型から半魚人へ、そして魚に戻ってしまう。水色の魚は崩れて周りの濃い色の海に溶けていく。
「ポニョー!」叫ぶ宗介。だが宗介の周りの気泡も砕け、水圧に潰されようとするそのとき。グランマンマーレの光り輝く巨大な手がポニョと宗介を包む。意識を失う宗介。

宗介目覚める。心配そうに見守るリサの顔、老人たち。
宗介を抱きしめるリサ。宗介「ポニョは?」
水球の中で死んだように動かないポニョ魚。号泣する宗介。
フジモト「ポニョの魔法を使い果たさせるには、こうするしかなかった。許してくれ」フジモトの方法で世界は救われたが、ポニョは失われた。
グランマンマーレ「今度は私のやり方を試す番ね」
グランマンマーレ「宗介さん、ポニョは死んではいません。眠っているだけ。ただし、このままずっとお魚のまんまなの。それでもあなたは、ずーっと、ポニョと一緒にいてくれますか?」
宗介「うん、ぼくポニョ大好き! お魚だって、ポニョはポニョだもの!」
即答する宗介。眼をみはるフジモト。深く微笑するリサと老人たち。
グランマンマーレ「地上に戻ったらキスしてあげなさい。ポニョは目覚めるわ」

水の引いた港で海を見つめる町民たち。やがて海中から現れるウバザメ号。出てくるのはポニョの眠る水球を抱えた宗介、リサ、老人たち(全員歩いている)、そしてフジモト。ポニョを宗介に託し、別れを告げるフジモト。
町民が見守る中でポニョにキスをする宗介。目覚め、見る見るうちに大きくなるポニョ、どよめく群衆、泣き笑いで人間になったポニョを抱きしめる宗介。
ポニョ「宗介、だーいすき!」
クミコ「ちょっとあんた、お魚のくせに、なまいきよ!」
ポニョ「お魚じゃないもん、ポニョだもん!」
ポーニョポーニョポニョ(以下略)


自分で書いておいて何だが、この展開の問題は、
1.ポニョの行動が自己犠牲に見える。
2.宗介の行動が5歳児の枠を超える。
3.クライマックスが中盤部分のスペクタクルの縮小再現になる。
4.水の引く描写を入れると、沖に浚われる船や車や建造物など、具体的な被害を描かないわけにいかなくなる(犠牲者をも暗示してしまう)。
5.グランマンマーレが、宗介を試すために嘘をつくことになる。

そもそもこういうお約束の展開と観客の満足のために、登場人物に悲惨をもたらし試練を与えることを、宮崎監督はもはや良しとしないだろう。だからこそ5歳児に課せられる試練は「怖いトンネルに子供だけで入る」ことと「元お魚の女の子を愛する」ことにとどめられるのだ。碇シンジを最後までエヴァ初号機に乗せようとしなかった庵野秀明のメンタリティにも通じるような気がする、と言ったら宮崎駿は憤慨するだろうか。
それに、実際こういう映画だったらお前は喜ぶのかと言われれば、そうじゃないよなあと思う。宮崎駿はもう一仕事も二仕事も成し遂げた人で、十二分に楽しませてもらったのだから、その老境にリアルタイムで付き合えるのもファンの幸運というべきだ。まして、こんなアナーキーな映画を結果的に観せてくれたのだから文句をいう筋合いはない(それにしても宮崎アニメがアウトサイダーアート扱いされる21世紀を迎えようとは思わなんだ)。子供連れもそれなりに親子で喜んでたよ。何と言っても、途中ダレようが最後にあの歌ですべてがチャラになってしまう恐ろしさ。ポーニョポーニョポニョ(以下略)

[補遺]
・劇映画としてのドラマ性よりも、奔放なイメージの連続を尊ぶ作りは、東映動画というより虫プロの作風に近い。海の住人が妙に手塚的なのもその印象を強める。
・諸星大二郎どんだけ好きなんだ、という。ていうか諸星の影響が、水準の異なる表現を無理に持ち込ませたことで宮崎の「漫画映画」を破綻させたのではないかと思わないでもない。
・ポニョ来襲のシーンが宮崎原画だとしたら恐ろしすぎる。
・音楽自重。うるさい。
・リサの「どんなに不思議なことが起こってても、今は落ち着くの、いい?」という台詞、あそこでリサが「不思議」を認識しているのは、人面魚を「金魚」として平然と受け入れる世界と整合性を欠くことになる。こういうリアリティ水準の混乱が『ポニョ』では到るところに見られる。漫画映画なら漫画映画で、作品内リアリティの基準は統一されるべきではないか。その意味でも、相互批評としてのシナリオと演出の緊張関係はやはり必要なのだ。
・『ポニョ』は、リアル世界に異界の住人が侵入することで起こる軋轢を描いた『河童のクゥと夏休み』や、異界の住人がいる日常をメタに意識化した『のらみみ』と比べても面白いかもしれないが、どっちも観てないんだよな。
・ゴミと一緒に浚われるポニョ。地面に投げ出されるポニョ。ガラス瓶ごと壊されそうなポニョ。今にも(死の)眠りに落ちそうなポニョ。ポニョの生命の脆さは映画の中で繰り返し示される。これは「命というものは儚いものだ」という以上のことは実は表現していないのではないか。つまり「だから命を大切に」という教訓はそこに含まれていない。5歳の宗介がポニョを死なせなかったのは偶然でしかない。これからも宗介(とポニョ)は、無数の命を奪いながら大きくなっていくだろう。そのことを宮崎駿は「これでいいのだ」とバカボンのパパのように肯定するような気がする。

2008-07-30

YMO楽曲大賞78/07

YMO楽曲大賞78/07参加のためのエントリーです。
http://www.k2.dion.ne.jp/~prse/ymoma/

●楽曲部門

1.体操 - TAISO(3点)
坂本の持ち込んだ現代音楽要素と、細野・高橋のリズム体のファンクネスが「反復」を共通項に合体した、3人の共同作業としてのYMOの完成形。シリアスを冗談ではぐらかす80年代サブカル的なセンスに痺れた。

2.シムーン - SIMOON(2.5点)
架空のハリウッド・ノスタルジーをヴァーチャルに再構成した、細野晴臣のソロ活動の延長上にある傑作。以後この路線がYMOでは廃れたという意味でも特別な楽曲。細野とキッド・クレオールの相似性を強く感じさせる。

3.マルティプライズ - MULTIPLIES(2点)
高橋幸宏のドラミングで一番好きなのが、こうしたスカ〜レゲエ的なリズム解釈。今聴くとスペシャルズまんまだが、そのネタ消費の速度感も魅力。イントロの引用だけで作曲者印税をもぎ取ったバーンスタインの剛腕にも唸る。

4.邂逅 - KAI-KOH(1.5点)
このあたりの楽曲の魅力は、実はHMO(初音ミクオーケストラ)で再認識したりした。坂本龍一の詞・曲・ヴォーカルの全てがナイーヴな魅力を放つ。


5.リンボー - LIMBO(1点)
YMOの歴史はミュンヘン・ディスコに始まりブラック・コンテンポラリーで終わる。結局黒人音楽好きなプレイヤー集団としての魅力が露になった1曲。細野晴臣が生ベースを弾く曲に外れなし。


●ライヴ楽曲部門

1.音楽の計画 - MUSIC PLANS [1981/12/22-24 新宿コマ劇場](3点)
強力なリズム体に支えられてアグレッシヴに暴れまくる坂本の存在感。ここがYMOのピークだ。

2.東風 - TONG POO [1979/10/16 The Venue (London)](2.5点)
『パブリック・プレッシャー』のバージョンから。渡辺香津美のギターがカットされたおかげで細野晴臣の動きまくるベースラインを堪能できる。

3.ジ・エンド・オブ・エイジア - THE END OF ASIA [1980/12/21 日本武道館](2点)
ノイジーなシンセドラム、大村憲司による鋭角的なギターのカッティングが刺激的。東風もそうだがこのライヴではリズムのレゲエ的な解釈が印象的だった。

4.ライオット・イン・ラゴス - RIOT IN LAGOS [1980/12/21 日本武道館](1.5点)
2度目の世界ツアーでYMOのオルタナ化を牽引したのは、この坂本ソロ曲のインパクトによるものが大きかったのではなかろうか。映像では、直立不動でシンセベースのシーケンスを弾く細野のストイックな存在感が物凄い。

5.中国女 - LA FEMME CHINOISE [1983/12/12-13 日本武道館](1点)
シンセの音色もメロディアスなベースも、高橋幸宏のヴォーカルも全てがセンチメンタルで、ニューロマンティックなYMOもまた良し。これで終わりなんだ、という感慨が深い。

番外.
ワイルド・アンビションズ - WILD AMBITIONS [1983/07/25 フジテレビ『夜のヒットスタジオ』第766回]
ノミネートのリストにないので外したが、これを3位にしたかった。全期を通じて唯一の細野・坂本2人による共作曲。テープ録音だろうトラックに、細野のウッドベース、坂本のピアノ、高橋のドラムが生で重ねられる。演奏のテンション、タキシード姿の佇まい、「Let It Be」の引用など、YMOの「終わり」を暗示させる。


●アルバム部門

1.テクノデリック - TECHNODELIC(3点)
今でも一番聴き返すアルバムだから。サンプリングの導入によるインダストリアルな感触、不穏な人間関係の緊張感、現代音楽とファンクとケチャがせめぎ合う反復の魔力、ベーシストとしての細野晴臣のリミッター解除など、全てが最高傑作に貢献している。

2.増殖 - X∞MULTIPLIES(2点)
当時、流行ものとしてのYMOを避けていた私が初めて引っ掛かったのがこのアルバム。ニューウェーヴとスカの疾走感、人を馬鹿にするにも程があるスネークマンショーのギャグ、Tighten Upの超絶カバーなど聴き所多し。

3.サーヴィス - SERVICE(1点)
もともとジョルジオ・モロダーのミュンヘン・ディスコにフュージョンのセッションという、ニューウェーヴとは程遠い出自を持つYMOの、ある意味原点回帰ともいうべきブラコン・アルバムにして最終作。SETのギャグは箸休め程度だが曲は粒揃い。坂本曲「Perspective」を聴くと、細野曲「ノルマンディア」の盗作疑惑の際の坂本の言いざまを思い出し今だに腹立たしい(笑)。

●推しメン部門
細野晴臣
そりゃもう。

2008-07-03

おまわりさんに捧げる唄

昼日中に近所を自転車でうろついていて、久しぶりに職務質問を受けた。それなりの数の人々の注目を浴びて逆上してしまう。といっても警官に暴力を振るうわけでも、逃走を図ったわけでもない。せいぜい登録証の照合に「早くして!」と苛立ちを隠さず声を上げたり、終いに「お仕事ご苦労様です」と嫌みがましくも高らかに言ってみたりしただけだ。一刻も早くこの場を離れたいと自転車を走らせながらも、胸の不快なざわめきが抑えられない。

職質がきっかけで抵抗が生じ、結果的になにがしかの「犯人」が生まれる。「疚しいことがないならなぜ逃げた、抵抗した」というが、疚しいことがないからこそ全力で逃げもし、抵抗もするのだ。
職質は間違いなく人を傷つける。よりにもよって人通りの中で、しかも普段の生活の場で、自分が社会にとってイレギュラーな黒い羊であると決めつけられる、いや見抜かれる屈辱。不特定多数の人間の中から自分を選び出した警官の炯眼。いやまったくあなたは正しい。だがその正しさは自分の尊厳を賭けて否定したい。私を呼び止め、人前で不審人物と認定する権利があなたにあるのかと、言葉にする前に体が反応し、自分が本来立ち会う必然性のない状況から離れようとすることの、どこに非があるのか。理不尽に矜持が傷つけられたという屈辱感は、暴力衝動をかき立てるのに充分だ。
このとき自らもまた警官にとって恐怖の他者であり、職質はその恐怖を乗り越えて社会への脅威を未然に取り除き市民を守ろうとする勇気ある行動なのだという、警官側の立場に向かう想像力は、自分がいま不当に社会から排除されようとしているという衝撃の前に軽く奪われてしまう。実際職質を受けている間、私は警官に対する憤りのほかに何も思うことができなかった。暴力行為に及ばなかったのは理性というよりも、単に身体反応の鈍さの賜物かもしれない。

とはいうものの、自転車を走らせながら、このことを日記に書きつけようと頭の中で言葉を組み立てるうちに怒りは鎮まり、妙に多い警官の自転車とすれ違うころには、もう何人か声かけてきてくれないかな、同一人物への一日の職質数の記録作りたいな、そのたびに丁寧に答えてやろう、などと薄ら笑いで考えていたのだった。こうして書きながらも、あのときに感じた屈辱や怒りは、確かにそれを感じたという事実として覚えているものの、もう再現するのが難しくなっている。

職務質問によって犯罪者になってしまった人々と私の間に大きな違いはない。今頃彼らは、もはや怒りを失った自分を留置所に茫然と見出し、私は眠れない夜に駄文を弄している。それでも私は、あのとき警官に対して確かに凶暴な思いを抱いたのだ。

……まあ、最近職質受けてなかったからなあ。職質慣れするとへらへら受け流して済むんだけどね。不審人物としての自覚が足りなかったよ。反省反省。

2008-07-01

『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』

シルベスター・スタローンがインタビューで「『ランボー4』を撮ったのは『ランボー3』の出来に不満が残っていたから」といった発言をしていたが、この『インディ4』の製作動機も同じような部分があるのではないか。というのも、ショーン・コネリー演じるインディの父親が登場する『インディ3』の収まりの悪さ(相対的な出来の悪さ)を「父性をめぐる物語」としての4部作の中に回収するために、一種の大団円としての4作目が用意されたのではないかと思うからだ。……というのは穿った見方にしても、「父性」「家族」のオブセッションは『宇宙戦争』よりはよほど幸福な形で昇華されている。いっそ『若き日のジョーンズシニア』『ジョーンズジュニアの冒険』を加えてジョジョ化するという展開もあるだろう(ねえよ)。

それにしてもいい湯加減の映画だ。もともとインディ・ジョーンズのシリーズがオールドファッションな冒険活劇を目指して作られたものであり、その意味では80年代当時にあってさえ「古臭い」と言われておかしくはなかった。その古臭い物語に、当時の最新の特撮技術と、スピルバーグの作風でもある暴力と悪趣味、馬鹿馬鹿しいアトラクションとをてんこ盛りにした「過剰さ」が、このシリーズを特別なものにしていたように思う。古い器に新しい酒を注ぐのではなく、古い酒を新しい器に注いだのが『インディ・ジョーンズ』だった。だが、この『クリスタル・スカルの王国』にはかつての「過剰さ」は感じられない。『シンドラーのリスト』以降、暴力と死への志向をエクストリームなまでに強めてきた近年のスピルバーグにとって、むしろ『インディ4』はかなり抑制を効かせた作りになっている。その結果『インディ4』は普通に「古臭い」映画になってしまった。

もっともその古さも含めてシリーズのファンなら許せてしまうものかもしれない。立ち読みした『ユリイカ』スピルバーグ特集号の蓮實重彦・黒沢清対談では黒沢が「面白かったけど、こんなんでいいのか?という感を拭えない。スタッフも『こんなんでいいんだ』と自分に言い聞かせながら作ったのではないか」(うろ覚え)と言ってたが、まったく私も「こんなんでいいのか? いいんだよな。まあいいか(笑)」という境地で楽しんだ。『スター・ウォーズ』新作が悪の今日性を盛り込もうとしてうまくいかなかったのに比べるといっそ潔い。悪いソ連! 怖いドジン!(なぜか変換できない!) 放射能は洗えば大丈夫! ネタがあからさまにトンデモなのも一部の人に強く訴求しそうだ(個人的にはちょっと抵抗があるが)。

ただ、全体に黄昏感というか、「その後のインディ・ジョーンズ」的な物寂しさは感じる。赤狩りとロックンロールと核の恐怖に縁取られた50年代を生きるインディは、異なる時代に迷い込んだ孤独なタイム・トラベラーのようだ。

ところで、先の『ユリイカ』対談で蓮實重彦は「スピルバーグが私の生徒だったらもっと面白い映画を撮れていただろう」みたいなことを言っている。映画史へのオマージュとしてネタが浅い、ということだろうが、別にそんな「シネフィルにだけ通じる符牒」みたいな映画を期待してもしょうがないんじゃないか。スピルバーグはタランティーノとは違うでしょう(とはいえ蓮實的な「正しい映画史」「正しい映画」は「圧力」としてあっていいものだと思う)。

2008-06-29

不条理日記

牛角食堂上石神井店にて「定食50円割引券(牛角食堂笹塚店のみ有効)」を渡される。

2008-06-25

気がつくとあのヒトのことばかり

実家に帰省していて、たまたま『新・科捜研の女』という警察もののドラマを観た。
乳母車の連続爆破事件が発生する。赤ん坊が降りたのを見計らって爆発させているらしいのだが、近くに犯人の姿は見当たらない。で、科捜研の女こと沢口靖子が、例によって科学の力で犯人を追いつめていくのだが、その犯人の姿というのがもう何とも(思いっきりネタバレですが、読み終えた5分後に記憶が失われますので大丈夫)。
犯人は有名大学工学部の大学院まで卒業したものの無職の若い男で、保険もないため満足に歯の治療も受けられない。そんな自分には決して持ちえない幸せな家族の姿を見ると、虫歯と心の痛みが疼くのだという。それで他人の幸福を破壊しようというわけだ。
これを観て「なんて陳腐な社会派ドラマなんだ」と呆れた。しかも理系・若い男・独身・無職などへのステロタイプな偏見を、格差問題の告発という美名の裏で無意識に視聴者に植え付けているのが始末に悪い。ほら見ろ、うちの母親が犯人に息子の姿を重ねて涙目だぞ。どうしてくれる(私が涙目)。

ところが、程なくして本当にそんな「陳腐な社会派ドラマ」紛いの事件が起きてしまった。別にこれは『新・科捜研の女』が事件を予見したわけでもなければ、事件の側がフィクションを模倣したものでもないだろう(あたりまえだ)。単にドラマの製作者も加藤容疑者も、同時代のステロタイプな偏見・固定観念を共有していたに過ぎない。過ぎないのだが、ドラマの作者は時代のテンプレートに沿って陳腐なフィクションを生み、加藤は同じテンプレを真に受け、テンプレ通りの人間像に相応しい行動を取った。繰り返すが、これはフィクションへの批判ではない。フィクションと現実をともに汚染するステロタイプに突っ込みを入れる他者(他者性)を、内にも外にも加藤が持っていなかったことが問題なのだ。

「なぜ人を殺してはいけないのか」という、いわゆる「なぜころ問題」にいまさら回答するなら、「協業が成立しないから」と答える。いつ自分を殺すか知れない相手と、同一の空間にいることはできない。そうなると生産も交換も流通も知識の伝達も不可能となり、文明が成立しない。「人を殺してはいけない」というのは、文明の基盤としての協業を可能にするための最低限の了解事項なのだ。
だとすれば、自分が協業の中に存在していない、協業の恩恵を受けていない(としか思えなくなっている)人間にとって、「人を殺してはいけない」というルールは自明のものではなくなる。殺す相手が「誰でもよかった」というのは、もはや憎しみの対象としての特定の他者すら存在せず、といって権力や資本家というふうに敵を図式化することもできない。彼を協業の輪から排除した「世間」全体が敵であればこそ、殺すのは(彼以外の)「世間」を構成する「誰でもよかった」のだろう。
逆にいえば、孤独な無差別殺人者を生まないためには「ひとを協業から疎外しない、疎外されていると思わせない」ことが社会にとって重要になる。そりゃそうなんだが。ファミレスで平日昼間にカラスヤサトシ『カラスヤサトシ』(講談社)を読んで笑っている私にどうこうできるはずもない。
ふと思う。おそらく単行本が出た今でも年収が250万に届かないであろう(そうであってほしい)しみったれた30男が、独り安アパートで「九死に一生」を得て自暴自棄から免れる。そんな姿も笑いの中に描いたカラスヤサトシの漫画を読んでいたら、加藤容疑者は救われていたのだろうか。「カラスヤはクリエーター様、同じ不細工でも俺とは違う」とか言うだろうか。

2008-06-21

10%の関係

夕食。雨の日に10%割引になるというチケットを手にガストへ。日中は降っていたのだろう、確かに地面は濡れているが、今は止んでいる。チケットが有効となるディナータイムの18時以降は雨が降っていない。この状態を「雨の日」と呼べるか。微妙だ。持ち合わせは千円に達しない。割引が認められなければ料金不足となるギリギリの価格の、ハンバーグ&オムライスプレートにドリンクバーを注文。これは賭けだ。
不安に震えながらも飯を食い終わりレジカウンターへ。現在は降るや降らずや、傘を差す人影はない。雨認定はレジのお姉ちゃんの裁量次第。視線を落とし審判の声を待つ。果てしなく思える時間が過ぎ、やがて。

——10%割引とさせていただきます。——

雨か。賭けに勝った私は、胸を撫で下ろしつつ店を後にした。髪の薄い者にのみ感知できるほどの弱い雨は、アパートに辿り着く間際に紛うことなき豪雨となり、薄くなったジーンズを突破して破れたパンツを濡らした。まあ1勝1敗ということで良しとしよう。——本当はいざとなったらツタヤTカードの300ポイントがあったんですけどね! 用意周到!

2008-06-19

夕食

食事を作るのが億劫になってガスト。シーフードドリアにドリンクバー。米澤穂信『クドリャフカの順番』(角川文庫)を再読。雨の日に10%引きになるチケットをもらう。やったね、明日はハンバーグだ!(ガストの)。雨よ降れ。ついでに3の付く日と3の倍数の日に30%引きになるサービスもあればいいのに。潰れるか。

センスなし

先日宮崎貴士さんとお会いした際にいろいろと四方山話をしつつ、当然話題は秋葉原の事件にも及んだ。

加藤容疑者の残した言葉は、一見するとネット上の非モテ論者の言説に似ている。しかし(私の理解によると)非モテ論というのは概ね「お前らまた電通様の言いなりですか。リア充(笑)スイーツ(笑)」といった、反(恋愛)資本主義、脱消費社会的な体裁を取っていたのではなかったか。
加藤の、女が欲しい金が欲しい車が欲しいという、まさにリア充を目指す欲望のベクトルは、むしろネットの非モテメンタリティの対極にある。消費社会の圧力に抗する「攻性防壁」としての非モテの論理が、加藤にとっては何ら機能していないばかりか、ひどく劣化した形で欲望と怨念を正当化する裏付けとなってしまった。
その捩れに誰も突っ込みを入れる者がない寂しい場所(携帯掲示板)を、よりにもよって選んだ加藤の「センスのなさ」。処刑された宮崎勤にも感じたが、加藤はオタクとして、あるいは消費行動、服装、ネットコミュニティ選びと、全方向的に決定的にセンスを欠いている。金も女も友達も仕事もなくても、センスがあればそれなりに楽しく生きられる。この「センスのなさ」が何よりも致命的だ。そうしたセンスを磨くには何らかのコミュニティに属するしかないが、コミュニティに属するにはセンスが要求される。堂々巡りだ。
だが、あえて空気を読まず突入することで、罵倒されいじられ突っ込みを受ける、そうした形でコミュニティの中で居場所を得るという行き方もあったはずなのだ。加藤には車よりも携帯電話よりも、一台のパソコンがあればよかったのかもしれない。同じネットでも、パソコンと携帯電話の間には大きな距離がある。その距離を、加藤にとって本当に役に立ったかもしれない言葉は越えられず、変質し毒となりかえって心を蝕んでいったのではないか。

というような話を世間話の合間にしたりしなかったり。新バンド「図書館」の動向など伺う。野望が実現するといいですね!

2008-06-18

夕食

夕食はカルボナーラ。具は椎茸とスモークスペアリブ。スペアリブは函館のノイ・フランク製。炒め物ならもう何に入れても美味い。レタスと胡瓜をマヨネーズ+柚子ぽん+柚子胡椒+胡麻油で和えたサラダ、インスタントの葱わかめスープを添えて食う。

ぶらぶらうざうざ

そういえば実家に帰って最初にやったことは、パソコンのウィルスチェックとブラウザのグレードアップだった(ほかにすることはないのか。ない)。購入時に入れたのはGraniで、デザインも使い勝手もほぼ申し分なかったのだが、唯一の不満がAutoPagerizeが使えないこと。特に両親が利用することを考えると、ページ遷移の手間は少ないほうがいい。それでSleipnir 2.7.2に移行、Advance Styleを選択しGraniと同じデザインで多機能を意識することなく使用できるようにした。もちろんプラグインにはAutoPagerlikeAutoPagerize for SeaHorseというのもあるがSITEINFOが独自仕様だったので、infogamiwedataを使用していたAutoPagerlikeを選んだ。SeaHorse必須)、ついでにTextLink風を入れた。意外にプラグインが少ないようなのは、国内向けのブラウザで開発者の数が少ないためかとも思ったが、実のところFirefoxならアドオンで加えるような機能はほとんどデフォルトで(てんこ盛りのスクリプトとともに)装備されているのだった。この「全部入り」仕様はいかにも日本製という感じがする。
ところでFirefoxは最初から選択肢になかった。せっかくだからWindows限定のブラウザにしてみたかったのもあるが、何よりFxはイチから育てるの面倒なんだもん!

Firefox3正式版リリース

深夜3時に目が覚めてしまったので、別に祭りに参加する気もないがFirefox3正式版をダウンロード。うーん、RC3に比べて不安なほど代わり映えがしない……。ということは今のところ不具合もないわけで、不安を抱く筋ではないのだが。まあいいや。
入れてあるアドオンは、どれが正式対応版でどれがNightly Tester Toolsで無理矢理動かしてるのか定かでないにせよ、まずは不自由なく動いている模様。以下に使用中のものを列挙する。MacOS X(10.4.11)にて動作。バージョンは2008年6月18日現在。

Adblock Plus 0.7.5.4(広告カット)
bbs2chreader 0.5pre2(2chビューワ)
Context Search 0.4.3(テキスト範囲指定の検索メニューにGoogle以外を追加)
Copy URL + 1.3.2(URLとタイトル、選択文字列をコピー)
Custom Buttons 0.0.3.2(ツールバーに自分で作成したボタンを追加。現在無効化)
DownloadHelper 3.0.4(動画・画像ダウンローダ)
FireGestures 1.1.2(マウスジェスチャ)
Fission 0.9.7.1(Safari風にアドレスバーにプログレスバーを表示)
Greasemonkey 0.8.20080609.0(スクリプト使用)
・AutoPagerize(ページをめくらずどんどん繋げる。必須!)
・LDR Full Feed(ライブドアリーダーに全文表示を加える)
hatenabar 0.5.5(はてな各サービスのツールバー。現在無効化)
Nightly Tester Tools 2.0.2(アドオンの互換性チェックを無視)
PDF Download 1.0.1.1(PDFの扱いを選択。現在無効化)
PicLens 1.7.0.3458(画像検索をスライドショーで表示)
Resizeable Textarea 0.1d(入力フォームの大きさを可変に)
Safari View 1.3.3(閲覧中のページをSafariで開く)
SBMカウンタ 0.3.1(被ブクマ数をステイタスバーに表示。現在無効化)
・被はてブ数を表示するブックマークレットを使用
ScrapBook 1.3.3.6(ウェブページの保存・管理。あんまり使わない)
Stylish 0.5.7(サイトごとにユーザスタイルシートを選択)
Tab Mix Plus 0.3.6.1.080416(タブ機能強化)
UnMHT 4.3.0(MHTの表示と保存。ふたばちゃんねる用)
View Dependencies 0.3.3.0(ページ情報に項目追加)
テキストリンク 2.0.2008052801(リンクなしのURIをダブルクリックで読み込む)
合間合間に 3.2.3(ふたばちゃんねるで不快な投稿を非表示に)
GrApple Delicious(blue) 1.0(Safari風のテーマ。デフォルトテーマがあんまりなので)

これだけ入れてもストレスなく動くのは大したもの。同人系の画像がたくさん表示されるサイトを数十タブ同時に開いても落ちなくなったし、読み込みも速い! それでもSafariを捨てられないのはもはや習い性か。

2008-06-17

ゆっくりしすぎた結果が略

函館でゆっくりしてたら、また日記の書き方を忘れてしまった。
いや、当初は今度こそ毎日更新しようと思ってたんですけどね。せめて感想くらいは書こうと積んであったCDとか漫画とかもわざわざ持っていったんだけど、それすら手を付けず。日々の生活の圧倒的な実在をログにして再確認する必要などどこにもないのだった……前にもこんなことを書いたっけ。書いてた。
それもこれも5月の函館が寒過ぎた。リラ冷えとはよくも言ったもので、最低気温は常に一桁、日中15度を越える日はほとんどなかったのではあるまいか。津軽海峡に浮かぶ島嶼であった函館山と陸地を結ぶ砂州の上に築かれた函館の街は、どこにいても始終海風が吹き抜ける。おかげで夏も涼しいのはいいけれど、とにかく寒くて出歩く気がしない。食べ歩きも思わぬ自重(じじゅう)の増加に自重(じちょう)した。寿司は美味かったけどね!

で、先月末に東京に戻ってみるとガステーブルが壊れており。帰省直前に掃除をした際にどこかを打ったのか、揚げ物用の温度センサーが付いた側のバーナーが使用できなくなっていた。より正確には、ツマミを手で押さえていないとガスが止まってしまうのだ。幸い強火力バーナーは無事なので、調理の手順と時間が多少増えるのを我慢して使っているが、地味にストレスが溜まる。ちなみにいつ購入したかを調べると、ちょうど2年前だった。ブログって便利!(そうか?) まあ安物買いで2年間使えたのだからいいか。今度買うなら押しボタン式でパロマ以外のにしよう、と思ったらリンナイ結構高いよ。

実家の庭で満開だったツツジの色も忘れかけ、今は紫陽花の季節。函館から持ち帰った冷気で海の底のようだった部屋にも、ようやく初夏の匂いが入り込み。徒然なるままに多摩湖自転車道を起点の武蔵野から終点の多摩湖まで、うっかりママチャリで走破したりする今日この頃です。

2008-05-08

メイリオ入れようとしたら

いやもう入れてたけどさ(ゴニョゴニョ)、ていうか入れてたのでインストールではねられた。マイクロソフト公式がXP向けにメイリオを提供というから、てっきり字送りや行送りをXP用に調整したのかと思ったら、Vistaと同じのを単体で配付するというだけなのね。なーんだ。SP3は様子見、自動更新待ちでいいか。以上実家パソコンの話。

2008-04-28

東京—函館

朝の5時に目覚め荷造り。牛乳をかけたコーンフレークと、卵3個のオムレツに椎茸とベーコンの生クリームソースをかけて食う。朝食にしてはこってりだが、これでほぼ冷蔵庫が空になった。冷凍できない野菜は実家に持参することにする。台所と風呂、トイレ、部屋の掃除を済ませて出発。余裕を持ったつもりが時間ぎりぎりで、空港の出発口までは小走りになった。ともあれおよそ1時間半の飛行を経て降り立った函館は——寒い。東京の3月半ばほどの体感温度に、函館山での夜景見物にしか用がないと思っていた上着を着込み、昼食のコッペパンをかじりながら身を縮めてバスを待つ。温泉街を巡回する200円均一のバスに乗り実家に到着。庭には雪柳や芝桜、水仙やチューリップなどが盛り、ツツジはまだ蕾も開いていない。両親が元気で何より。マグロの刺身にけんちん風の汁などで夕食。そんなわけで以後ひと月ほど函館からの日記が続く。地元のスィーツの情報とか満載よ! サザエのおはぎとかな。

2008-04-27

昼食/夕食

折よく晴天にて朝から洗濯。冷蔵庫の中身を片付けるべくクリームシチュー作り、ヤマザキのレーズンロールと紅茶で昼食。午後に吉祥寺に出て散髪。連休で人が溢れているが床屋はほとんど待たず、約15分で完了。井の頭線で渋谷へ移動、代官山まで歩きライヴハウス「空豆」へ。帰宅後洗濯物を取り込み、残りのクリームシチューと西友で買ったサンドイッチで夕食。

震える半月の夜に再び

「震える半月の夜に再び」
2008年4月27日 於:代官山・晴れたら空に豆まいて
出演:Mio Fou(鈴木博文vo,g,b、美尾洋乃vo,pf,vln)/福原まりvo,pf

それなりにムーンライダーズのファン歴は長いのだけれど、鈴木博文とヴァイオリンの美尾洋乃とのユニットであるミオ・フーの音楽に、なぜか今まで触れてこなかった。その美尾ともかつてリアルフィッシュで活動を共にした福原まりのソロ活動にも、特に関心を向けたことがなかった。さらに、今回の共演の舞台となるライヴハウス「晴れたら空に豆まいて」にも、これまで足を運んだことはない。こういう何から何まで初めて尽くしのライヴはそれだけで楽しみだ。渋谷から徒歩で辿り着いた「空豆」は、代官山の中にできた高円寺の飛び地のような雰囲気で、酒の値段が安いのはありがたい。そう広くはない店内は、昔からのファンや関係者でいっぱいになっていた。

最初に登場したのは福原まり。メンバーは福原まりpf,vo、中原信雄b、グレート栄田vln、Lynne Hobday voという、アルバム『pieta』(07年)のレコーディングに参加した顔触れだ。力強くかつ繊細なピアノを中心に奏でられる音楽は、旧いヨーロッパへの憧れが結晶したような、かつてどこかにあったかもしれないフランス映画のサウンドトラックのような味わいがある。Lynne Hobdayの歌が加わると、音楽に秘教的な雰囲気が漂い出すが、いわゆる「偽ケルト」などという揶揄で片付けられない強度と深みがあった。ソロアーティストとしてのパフォーマンスながら、その強い情景喚起力には劇伴作家としての福原の個性と実力を想像させるものがある。
現在放映中のアニメ『あまつき』の音楽を福原まりが担当しているそうで番組のチラシも配られたのだが、MCで「皆さんの中にアニメとかお好きな方はいらっしゃいますか?」と訊かれたとき、私は手を上げることができませんでした(……)。いやまあそのあれだ。まあ実際『あまつき』は観てないんだけど、とりあえず音楽だけでも確認しておこう。

続いてミオ・フーの登場。たぶんいつもの鈴木博文のフォーキーな音楽をそれほど逸脱しないだろうと高を括っていたが、冒頭のインスト曲が始まるや否や、そうした貧困な想像は大きく裏切られた。夏秋文尚ds、多田葉子sax、美尾洋香vlnが加わった緊張感のある即興を交じえつつ、緻密に構成されたプログレッシヴな演奏は、レコメンデッド系のチェンバーロックのような趣だ。これは美尾洋乃の個性なのか、あるいは鈴木博文のザッパ好きな側面によるものか。博文氏の音楽もいつも通りといえばそうなのだが、ライダーズとはまた個性の異なるバンドサウンドの中で、意外に力強い声が美尾洋乃のノーブルな声と交差するヴォーカル曲には新鮮な響きがある。ジョン・グリーヴスとピーター・ブレグヴァドのバンド「キューローン」を想起させるところもあった。博文氏の爪弾くアコギの音色も素晴らしく、ミュージシャンとしての力量を再確認。美尾姉妹(そっくり!)のヴァイオリンの共演も楽しい。福原まりがアコーディオンで演奏に加わる場面では、80年代から続く紐帯の強さが感じられた。この日の会場には、福原まりと美尾洋乃のバンド仲間だった戸田誠司も訪れていたという。
アンケートに答えた人への特典として、手書きの曲解説とセットリストが配られた。これはアンケートの回収率を上げるよい方策だ。ライヴ終了後に急いで記入して入手したが、資料性とは無縁のブログなのでここには記さない。ライヴ中にメモを取る人がいたくらいだから、たぶん探せば見つかるだろう。

行きは渋谷から歩いたが、帰りはさすがに代官山駅へ。こんなに近かったのか!

2008-04-26

ある雨の日の情景

昼食は西友カップ麺78円。夕刻にそぼ降る雨の中をバスで荻窪に出る。雨の日は「交通費がもったいないから自転車」などと思わずに気兼ねなくバスに乗れる。自転車も傘を片手に乗れなくもないが歩行者に迷惑かつ危険だし、雨合羽を愛好するほどフェティッシュでもない。ともあれバスで移動するぶんには、三鷹でも吉祥寺でも荻窪でも大差はないので、その時に来たバスに乗り込むというプチすごろく旅行。この日は荻窪だ。ブックオフでいしかわじゅん『メンカー』(立風書房)を350円で、新刊で長月みそか『HR 〜ほーむ・るーむ〜』2巻(芳文社)、小玉ユキ『坂道のアポロン』1巻(小学館)を購入。路地を縫うように飯屋を探すも入りたい店がなかなか見つからない。昔通ったイタリア料理屋はガストに成り果てた。昼にはときどき利用する西安料理の店は夜だとちょっと高い。ここまで来て日高屋とかココイチとかジョナサンは避けたいと思いつつ「ビフテキ屋まるり」という店を発見。ハンテキ(ハンバーグ+ステーキ)定食を注文。ご飯と味噌汁おかわり自由で量・値段・味も良し。荻窪で飯屋に迷ったらここに来よう。帰りもバス。さすがに雨の夜は混む。さっさと一番奥に移動、最後部座席手前、エンジン格納部分の上の少し高くなった場所に立つ。後ろにまだ余裕を残したまま中程でひしめく愚民どもを見下ろす、文字通りの上から目線。やがて車内が空き、優先席が空いたので迷わず着席。立ってるとかえって迷惑でしょ。ジジババが来たらすかさず席を譲るべく車内を睥睨しつつ終点まで緊張感をキープ。一仕事終えた充実感を味わう。何かと言いたいことはおありでしょうが聞く耳持たん。

2008-04-25

昼食/夕食

昼食は武蔵境の日高屋でラーメン+割引券で50円の味玉載せ。入江亜季『群青学舎』3巻(エンターブレイン)購入。夕食はリトルマーメイドで買ったパン、オムレツ、温野菜サラダ。オムレツは豚挽肉・玉葱・椎茸を炒めた具を詰めた。テフロンの死んだフライパンで作るオムレツほど切ないものはない(歌:小椋佳もしくは布施明)。温野菜サラダというか何というかは、ブロッコリーと人参スティックを塩茹でし、マヨネーズ・大蒜すり下ろし・胡椒・柚子ポンを和えたディップに付けて食べるだけ。帰省前に野菜を片付けるために作ってみたが悪くない。ディップは何となくアイオリソース風にならないかと思ったが全然違うなこれ(大蒜が思いの外強い)。今度はちゃんと作ってみよう。アイオリはべりいまそかり。なべて世は事も無し。

2008-04-24

夕食

カルボナーラとオニオンスープ。鍋に油を敷き、スライスした玉葱を木べらでかき混ぜながら中火で延々と炒める。とにかく玉葱が焦げないように目を離さないこと。そのうち玉葱が飴色になった頃合いに水を注ぎ、鍋肌にこびりついた飴色の焦げをこそげ落としながら加熱(この焦げが出汁になる)、コンソメ、胡椒、ベーコンを投入して適当に煮込む。これをグラタン皿に盛り、ガーリックトーストを載せチーズを振りかけてオーブンで焼けばオニオングラタンスープになるのだが、面倒だし機材も足りないのでこれで完成。

サラサーテの盤

昼下がりに上石神井の魚料理屋にて「豚バラ肉の梅肉おろし載せ定食」を注文。なぜ魚料理屋で肉料理と訊かれそうだが、いや訊かれなくとも説明すると(冗長)、最近鯖や秋刀魚の油が体に堪えるようになってきて、むしろ豚肉や鶏肉のほうが胃にもたれないのだ。いやまったく歳には勝てませんなーははははは。
それはさておき。しばらくして料理が狭いカウンター席に運ばれてきて、広げた本や携帯電話をあわてて片付ける際に思わず「すみません」と、相手に伝えるでもなく口の中で泡のはじけるような小さくか細い声が漏れた。
その発声の加減が絶妙だったのであろう。奥から急ぎ足で店の女将が現れて、カウンターの店員に「今『すみません』って呼んだよね?」「え、言ってませんよ」「嘘、女の人の声で『すみません』って聞こえたよ」。
そこにいる女性は、女将と店員の二人、客は私だけで女性客はいない。
「外の話し声が聞こえたんじゃないですか」「違うよ、そんな遠くから届くような大きさの声じゃなかったよ」
…………。
「やだー、怖い」「確かうちの店が入る前にも女の店員さんがいたのよねー」
女将が不安を紛らわすかのように、不吉な因縁を店員相手に探り当てようとするやりとりを聞きながら、どうにも気まずい気分で飯を食い終えた。
もしあなたがいつか上石神井を訪れて、駅前の魚料理屋に入ったとしよう。とりわけ夜の時間帯ともなると、酔客相手に女将が「こないだ、こんなことがあったのよー」などと、聞こえるはずのない声が虚空から響いたという怪談噺を披露する場面に出会うこともあるだろう。
すみません、その枯尾花は私です(ちなみに飯そのものは美味かった)。

2008-04-23

見てるだけ

例によって遅い昼食、というか夕食は吉祥寺ヨドバシの中華料理店「万豚記」にてマーボ豆腐かけ土鍋ごはん880円+肉まん3個390円。マーボご飯の量がかなり多く、2人で分けて丁度良いくらい。全部食べると飽きる。食事はこれでおしまい。
ヨドバシとラオックスを梯子して、今ちょっと関心のある液晶テレビとオーブンレンジの値段を見比べる。ラオックスは生き残りを懸けてかなり本気、ヨドバシで検討してラオックスで買うのがいいんじゃなかろうか。買わないけど。ラオックスにはMacのコーナーができていた。テレビも兼ねるならiMacという選択肢もあるな。買わないけど。
書店で『コミック・ハイ!』立ち読み、袴田めら『暁色の潜伏魔女』最終回を読む。ちょっと迷走気味な感じもしてたけど、うわーこういう着地か。単行本が出てから読み直さないと何とも言えず。いやこれは買うよ。雑誌は買わないけど。

『RD 潜脳調査室』

ふとましいのはさておき。森功至主演の変身ヒーロー物、すなわちProduction I.Gのタツノコ先祖返りと考えればわかりやすい(ミナモのローラースケートはムテキング?)。肉感的なキャラクターを得意とする上山徹郎の起用も、往年の吉田竜夫—九里一平ラインを狙ったものではないか。まあ肉感的というにも程があるというか、ミナモの同級生のお肉がふとましすぎる。話は薄いがお肉は厚い。さておけなかった。

2008-04-22

最終防衛線としての西友

昼食は西友カップ麺78円。これが現在のところ最安値か。以前に荷宮和子が貧しい独身者の生活を扱ったドキュメンタリーへのコメントに「カップラーメンなんてかえって高く付くんだから贅沢だ」とか宣っていたが、きっとコンビニの棚の派手な商品しか見たことがないんだろう。と貧しい独身者は嘯く。夕食は三鷹の洋食屋「こんがり亭」にて豚の生姜焼き定食880円(だったかな)。ここは客に喫煙者が多いのが玉に瑕だけど、この日は運良く無煙状態。内容も豚の生姜焼きになぜか鶏の唐揚げ、サラダにスパゲティが1皿に盛られた他にスープが付き、味も量も価格も文句なし。

2008-04-21

昼食/夕食

昼食はすき家牛丼。夕食はミートソースのスパゲティ、インスタントの葱わかめスープ。豚挽肉をオリーヴ油で塩・胡椒を加えて炒め、油を切りながら取り出す。豚肉を炒めた油で玉葱みじん切り、人参すり下ろし、大蒜みじん切り、椎茸みじん切りを炒める。肉を戻して赤ワイン注ぎ煮詰め、トマト水煮を投入してよく潰し、水・コンソメ・乾燥バジル加え煮込む。まだ硬いパスタを多めの塩を加えた茹で汁ごと加え、汁気がなくなったら完成、粉チーズかけて食す。

Bloggerの投稿編集画面がアレな件について

Bloggerの投稿編集画面の表示が乱れて編集ボタンが使えなくなった。本家のメンテナンスが日本語環境のことを考えてなかったっぽい。いずれ改善されるのだろうけど、現時点でとりあえず解決用のユーザスクリプトを作成された神がいた。
http://www.kuribo.info/2008/04/firefox-greasemonkey.html
MacOS10.4.11 / Safari3.1.1 / Firefox3 beta5 の環境で有効(SafariはGreaseKitが必要)。クリボウさんありがとうございました! カレンダーも便利に使用させていただいております(とここで書くのも何ですが)。

ただ、なぜか投稿するたびにログアウトするのは不便だなあ。これもそのうち解決されるのだろうか。

追記:ログアウトはしなくなったけど、今度はSafariの本文フォームにテキストエディタからコピペできなくなってしまった。Firefoxは今のところ大丈夫。うーん。(4月21日4:25現在)
追記:表示は直って編集ボタンが使用可になったが、Safari3.1.1でテキストエディタからコピペできないのはそのまんま。フォームに直書きって心理的に嫌なんだよなあ。ブログ投稿はFirefoxからにしよう。(4月24日2:20分現在)

2008-04-20

昼食/夕食

最近地球の自転が速い。あとよく意識を失う。大量にニコ動など観た後で意識を失い、気がつくと日が傾いている。病気か(ある意味正解)。夕方になり吉祥寺に出て「まぐろのなかだ屋」にて三品丼(づけまぐろ・ネギトロ・ホタテ)。あとは上石神井の八百屋で買った1パック250円の「さちのか」に砂糖とヨーグルトかけて食う。ヨーグルト付属の砂糖パックが大量に余っており不足はない。普段はヨーグルトにジャムかハチミツを入れるのだ。のだって言われてもな。

機械仕掛けの神

Safari用プラグインのひとつにInquisitorがある。ツールバー検索にSpotlight風の予測検索機能を加え、検索結果の上位を表示するとともに、直接リンクされたページに飛べるというものだ。主に見た目の楽しさで導入したのだが実際なかなか便利。中でも検索サイトをGoogle以外にカスタマイズできるのがいい。導入するとこんなふうに表示されるようになる。


















ただし、日本語の検索サイト用に文字コードを設定することができないので文字化けする場合がある。例えば「はてなキーワード」では検索結果は概ね表示されるが、検索フォームの文字は化けてしまう。









さて、Inquisitor経由で何気なく、「素股」という語を「はてなキーワード」で検索してみた。すると、このように表示されたのだ。















……………………………………。









……素股だって言ったのに!

2008-04-19

昼食/夕食

松屋カレー大盛り+生野菜で遅い夕食。それだけでは足りず深夜にナポリタン作る。肉はベーコン。少量の牛乳加えマイルドに、というレシピはテレビドラマ『マンハッタンラブストーリー』で覚えた。すっかりテレビを見ない人になってしまったなあ。そういやうちのアパートにケーブルTVが入るらしいのだがどうしよう。その前にテレビを買えという話か(パソコン+外付けチューナーだとあんまり見る気になれんのよ)。

2008-04-18

昼食/夕食

昼食は吉祥寺「天下寿司」にて105円×5皿、95円×1皿。おっくうで食事を作る気になれず夕食はデニーズでオムライスとコーヒー。

2008-04-17

GGVV

昼食は近所のガストにてあつあつ包み焼きGGハンバーグ+ライス・スープセット、コーヒー。所詮は冷食の暖め直しなのだろうが別にいいじゃんこれで。夕食は西友カップラーメン78円。

とある本を探しに久々にヴィレッジヴァンガードへ。いつもながらこの居心地の悪さは「サブカルだから」とか「オサレだから」ではなく、DQN嫌悪に近いのではないかと突然思い至る。ヤンキーの50's好きみたいな感じ。結局、目当ての本はなく、ルーエで発見し購入。

2008-04-16

ぐるり

三鷹松八のとんかつ定食390円祭りが本日までなので、選択の余地なし。しかし2日続けて油もの、しかも昼からはちょっと重い。
駅ビルの文教堂にて、「コーヒー1杯分の情報マガジン」と銘打たれたミニコミ誌『ぐるり』が小川美潮特集号だったのでしばし立ち読み。値段も300円だったのでそのまま購入、ドトールにて読む。中央線沿線と下北沢周辺の文化情報紹介が骨子の雑誌だが、70年代を引きずるような中央線臭さはそれほど感じない。むしろサブカル雑誌というのではなく、地元のライヴハウスや小劇場通いが身に付いている人々にとっての「生活情報誌」に近いかもしれない。ほとんど自転車で移動できる範囲を生活圏とする私にとって、必要な情報はこの1誌で充分ではないかとも思った(だからといって定期購読しようとまでは思わないが)。

今宵、あの人を想う

今宵、あの人を想う 2
2008年4月16日 於:吉祥寺MANDA-LA 2
出演:渋谷毅pf ゲスト:小川美潮・金子マリ

三鷹駅前のドトールでミニコミ誌『ぐるり』を読みつつ、そういえば最近ライヴに行ってないな、何か近場で面白そうなのないかな、などと何気なく小川美潮インタビュー末尾のライヴ情報に目をやると、まさに本日吉祥寺でライヴがあるではないか。開演時間は19:30。そして現在時刻は19:25。席を立ち自転車を飛ばし、何とか20分ほどの遅れで到着。すでに渋谷毅のピアノ演奏が始まっていた。

私にジャズを語る言葉はないのだが、この日に演奏されたのはいわゆるジャズのスタンダードナンバーではなかったと思う。どこかで聴いたけれど名前が出て来ないような、例えばフォスターの歌曲のような耳に馴染んだものが多かった。それも殊更ジャズ風に、スゥインギーなリズムや複雑な和声を加えて編曲するというものでなく、曲のあるべき輪郭を丁寧に指でなぞるような軟らかいタッチで奏でられる。無私とか禁欲というのとも違う「初めに歌ありき」というべき自然さがそこには感じられた。このスタンスが、この日のパフォーマンスすべてに通底していたように思う。

続いて小川美潮が登場。ウズマキマズウ名義での新作『宇宙人』が発表されたばかりだが、今回はそのお披露目というわけではない。かつてのソロアルバムに収録された名曲の数々が、渋谷毅の優しく手を添えるようなピアノに寄り添いながら、新しい息吹を吹き込まれて再演される。チャクラやキリング・タイム、はにわなどの強力なバンドとの間に生まれるテンションの高さはここにはなく、公園のベンチの心地よさに思わず歌い出したかのような気楽さ、自然さが充ちていた。かつて小川美潮の歌には「ニューウェーヴ」出身者にありがちな演技性がどこかに感じられたが、ここでの歌声には何のあくどさもなく、ただただ天真爛漫、天衣無縫な佇まいがあるばかりだ。近年の矢野顕子にも似ているが、矢野が決してピアノの前から離れることができないのと違い、小川美潮には身一つ歌一つで板の上に立つ身軽さがあり、そこが活動の自由度の高さに現れているのだと思う。

この日のもう一人のゲストが金子マリだ。煙草を指に挟み、グラスを手にステージに上がる。ありがちな無頼のポーズなどではなく実に自然な風情だ。その煙草と酒の影響もあるのだろう、若い頃よりもひび割れが増し音域が低くなったその声は、しかし完璧にコントロールされて、余裕たっぷりにスタンダードナンバーを歌い切ってみせる。体に染みついた紫煙やアルコールと同様に、ブルースが歌に染みついているのだ。小川美潮とはまた違うタイプだが、この人も異様に歌が上手い。渋谷のピアノも心なしか夜の深さを増したかのようだ。彼女も参加するスモーキー・メディスンのコンサートのチケットは売り切れだという。でも私は四人囃子が見たかった!(何だそれ)

二人で小川美潮の「DEAR MR.OPTIMIST」を歌う楽しい一幕もあり(美潮さんは歌詞が飛んでいたけど)。渋谷の意向で、お約束のアンコールはなしの幕切れもまた潔い。
この夜、素敵なピアニストと歌姫たちに想われた「あの人」とは高田渡。4月16日は渡さんの命日だったのだ。

ところで物販で美潮さんの『宇宙人』を購入、サインをいただいたのだが、宛名を訊かれて「まろんさんへ」とは言えず、本名、しかも名字にしていただいた。だって恥ずかしいじゃないか。ハンドルネームはよく考えてから付けるものだ、と思うのは、もはや何度目のことであったか。

帰宅後、鶏肉・舞茸・ブロッコリーを具にカルボナーラ作り夕食。ブロッコリーは鍋に残したパスタの茹で汁で別茹でにして最後に合流。今度はバッチリ。付け合わせの葱わかめスープは面倒なのでインスタントのまま手を加えず。

2008-04-15

それでも地球はまわる

目覚めると以下略。とりあえず三鷹駅前に出る。松八で折しもとんかつ祭り、とんかつ定食390円で夕食。あれ、昼食は?
1パック198円のとちおとめに砂糖とヨーグルトかけて食う。小粒で不揃いだがむしろ味が濃く美味い。

2008-04-14

地球の上に夜が来る

目覚めると地球の自転が著しく進行しており。とりあえず三鷹駅前に出る。松屋で折しも牛丼祭り、大盛り+生野菜で夕食。あれ、昼食は?
駅ビルの文教堂で『幸せの賃貸インテリア』とか立ち読み。帰りにブックオフで買い物。
長月みそか『HR 〜ほーむ・るーむ〜』1巻(芳文社)350円
MARIA MULDAUR/SOUTHLAND OF THE HEART('98) 500円
『HR』はもうすぐ2巻が出る前にと購入。中学生たちの恋の目覚めを4コマで描いて、作者がエロ漫画でやってることと軸がぶれてないのがエロい、いや偉い。マリア・マルダーは昔の作品かと思ったら近作だった。蓋開けてブックレット表4写真見て納得。あの高域で裏返るセクシーな声はもはやないのだが、アーシーなカントリー調のサウンドに乗った、塩辛声の余裕たっぷりな歌いっぷりも悪くない。
1パック198円のとちおとめに砂糖と牛乳かけて食う。小粒で不揃いだがむしろ味が濃く美味い。

2008-04-13

再武装

あまりの寒さに一度は脱ぎ捨てたトックリセーターとモモヒキとニット帽を再び着用。寒の戻りというのかな。
昼食は前日の残りのミネストローネ。加えて100円マックの紙のような味のするチーズバーガーとプレミアムローストコーヒー。夕食はカルボナーラと中華風スープ。ボウルに卵・生クリーム・粉チーズ・黒胡椒を攪拌して混ぜ合わせておく。潰した大蒜、ベーコン、舞茸をオリーブ油で炒める。大蒜は本来は香りを移して取り出すのだが、もったいないのでそのまま具に。茹で上がる前のパスタを茹で汁ごとフライパンに合流し、小分けにしたブロッコリーとともに加熱。汁気が無くなったらボウルでソースと混ぜ合わせカルボナーラ完成。しかしブロッコリーの酸味というかえぐみが全体に移ってしまいやや失敗。今度は別茹でにしよう。スープには溶き卵を入れたのでカルボナーラと重なってしまった。

何故にフュージョン特集(答:安いから

久しぶりに三鷹パレードにて猟盤。レコードを買うのもまた久しぶりだ。せっかく大きなレコード棚を買ったのに、収納にまだ余裕のあるレコードは増えず、ブックオフで拾ったCDが溢れて積み上げられている始末。カオス再来か。しばらくアナログ盤に復帰しようかな。

THE CLAUS OGERMAN ORCHESTRA/GATE OF DREAMS('77) 800円
クラウス・オガーマンが「大オーケストラとジャズ・グループのために」書いたバレエ音楽"SOME TIMES"(72年初演)を、クロスオーバー/フュージョンの時代にスタジオで再演したのが本作。この時代のシーンにはラロ・シフリンやエウミール・デオダート、ドン・セベスキーなどオーケストレーションに優れた作曲家/編曲家が数多いが、彼らは基本的にはキーボード奏者であり、管弦は自身も一員であるジャズ・コンボの演奏を拡張・補完するものだった。オガーマンの場合はそうしたジャズ・プレイヤー性から自由であり、流麗な管弦も躍動的な電気楽器も、それらが象徴するクラシックやジャズ、R&Bといった多様な音楽性も、自らの譜面の構成要素として均等に配置されている。フランス印象派を思わせる管弦の優美さと、鋭く切り込むジョージ・ベンソンやジョン・サンボーン、ジョー・サンプル、マイケル・ブレッカーらのスター・プレイヤーによる演奏が、もつれ合い溶け合い風景を塗り替えながら見事にひとつの絵を描き上げていく様は圧巻。クラシックの素養をいかに電化コンボに融合するかという理想例として坂本龍一が影響を受けたのもむべなるかな。質の良いオーディオで聴いてみたくなるが、CDで買い直すのが安上がりか。

HERBIE HANCOCK/MAN CHILD('75) 500円
ジャズファンクの地平を拓いたヘッドハンターズのメンバーに、ハーヴィ・メイソンやジェイムズ・ギャドソン、ルイス・ジョンソンにウェイン・ショーター、ワウ・ワウ・ワトソンにスティーヴィー・ワンダーまでを加えて展開される、さながら「拡張版ヘッドハンターズ」な一大ジャズファンク絵巻。多彩なゲストを迎えながらイメージを拡散させることなく、ファンクを硬い核として緊密に組織された音の塊が、グルーヴィかつクールに疾走するのはひたすら快感だ。「カメレオン」に続きハンコックのシンセ・ベースに宿るファンクネスも健在。ジャケに描かれた仏像には複雑な気分になるが。

以下4枚で1050円
STUFF/LIVE STUFF('78)
一斉を風靡したスタジオ・ミュージシャン集団の日本公演ライヴ盤。大野雄二によるライナーが興味深いので引用。

大人がやるには何かたわいないような音楽を一生懸命にやっている。だけど、そのたわいないようなワンパターンを何度も何度も繰り返してゆくことによって聞き手を魔術にかけてしまうようなところがあります。(略)
例えばリチャード・ティー。彼のピアノは難しさがないがとてもやさしい。(略)こういう人は今まで、僕らの世界にはいなかったタイプで、かつてはランクが一段階下がったポップスしか出来ないような人に思われていました。ところが、僕は彼のうなるピアノを聞いた時、昔、マッコイ・タイナーを見て腰を抜かした程に驚きました。(略)
ここには「大人がやるには何かたわいないような音楽」が、大人がやるに相応しい音楽であるところのジャズに与えたインパクトが率直に語られている。それはまさに「クロスオーバー/フュージョン」の出自そのものだ。
もっとも、今ならスタッフはフュージョンではなく「ジャム・バンド」のカテゴリに入れられるかもしれない。ゴードン・エドワーズとスティーヴ・ガッドが強靱なグルーヴを練り上げ、コーネル・デュプリーとエリック・ゲイルの二色のギターが絡み合い、リチャード・ティーのピアノが打楽器のようにタイムを刻みつける。その熱はスタジオ職人ではなく、紛うことなきライヴ・バンドのものだ。

CORNELL DUPREE/SHADOW DANCING('78)
そのスタッフのメンバーであるコーネル・デュプリーのリーダー作。ウィル・リーとクリス・パーカーのリズムにストリングスとホーンズが載った音は、意外に歌謡色というかディスコ色が濃厚で、78年という時代を感じさせるものだ。そういえばスタッフのプロデューサーはかのヴァン・マッコイだったっけ。別にそれが悪いわけでもなく、デュプリーのフィンガー・ピッキングによるクリーンでパキパキした音色のギターは、実にキャッチーなフレーズを奏でて文句なしに楽しい。スティーリー・ダン"PEG"をカヴァーしているが軽いことこの上なし。

BEN SIDRAN/LIVE AT MONTREUX('78)
モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライヴ盤。ベン・シドランをジャズ・ピアニストと呼ぶのかAOR歌手と呼ぶのかよくわからないが(俳優や物書きとしてのキャリアもあるらしい)、トニー・レヴィンb、スティーヴ・ジョーダンds、スティーヴ・カーンg、マイク・マイニエリvib、そしてブレッカー・ブラザーズという錚々たるメンバーを従えて、シドランはジャズのバックグラウンドを持つピアニスト/歌手として見事にスタイリッシュに決めてみせる。同様の存在としてドナルド・フェイゲンが思い浮かぶが、フェイゲンのような変態性はなく、よりクールでつれない趣でもある。

GROVER WASHINGTON,JR./SOUL BOX VOL.2('73)
後年ビル・ウイザーズとともに"JUST THE TWO OF US"の大ヒットを飛ばし、スムース・ジャズの礎を築いたとされるサックス奏者が、73年にKUDUからリリースした2枚組ライヴ盤の(76年にバラ売り再発された)片割れ。ちなみにオリジナルのボックスは千円以下では買えなかったような。で、確かにスティーヴィーの"YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE"を奏でるグローヴァーのサックスは相当に甘々攻撃なのであるが、リリカルなばかりではなく相当にソウルフルでもあり。何せ面子はボブ・ジェームズp、リチャード・ティーorg、ロン・カーターb、ビリー・コブハムds、エリック・ゲイルg、アイアートper、ヒューバート・ロウズfl、ランディ・ブレッカーtpというCTIオールスターズ、ムード歌謡に終わるはずもない。特にジェームズ指揮の管弦とうねるグルーヴがせめぎ合う後半は、電化されたジャズ・オーケストラともいうべきCTIレーベルのコンセプトを色濃く感じさせる。そしてコブハム作曲の"TAURIAN MATADOR"という、主役が誰でも構わぬ高速ドラムの暴走機関車ぶりで幕となる。これぞ「クロスオーバー」の醍醐味と言おうか言うまいか。

2008-04-12

左まきの夢

ついにトックリセーターとモモヒキを脱ぎ捨て、晴天の下軽快に自転車を転がし三鷹駅前へ。ベトナム料理店「HIDARIMAKI」にてベトナム風チャーハン(スープ、浅漬け付き)600円と春巻セット400円。チャーハンは載っかってるパクチー以外どのへんがベトナムなのかよくわからないが、春巻セットは生・揚げ・蒸しの三種類にサラダと浅漬けが付いて味も上々。「蒸し」と打ったら「蟲」に変換された。蟲春巻こわいよー。
夕食はベーコン・舞茸・ホウレンソウのペペロンチーノ、ミネストローネ。小さめに切った鶏肉に塩・胡椒で下味を付けて炒め、細かく切ったキャベツ・人参・じゃがいも・椎茸を加えて油を回す。赤ワイン加えた後にトマト水煮を投入、潰しながら加熱。水・コンソメ・乾燥バジル・ケチャップ少々加え適当に煮込みミネストローネ完成。まあたぶんこんな感じで合ってる。人生はミネストローネ。

2008-04-11

カトウハルアキ『ヒャッコ』3巻(ソフトバンク クリエイティブ)

中心人物である虎子の周りにひたすら人間関係を拡大し続けることで「のみ」話を転がすという、ある意味希有な作風がいつまで持つのかと思っていたが、この巻に至って虎子の背景を掘り下げる新展開(しかし容赦のないネーミングセンスだ……)。一応伏線というか布石はあったのか。だからといって殊更にドラマが動く気配もなく。雰囲気漫画と言われそうだが、このなかなかない種類の雰囲気の良さだけでも買いだとは思う。ていうか何このテコ入れ幼女ありえねえ。こういうのアリな漫画だったのかいいぞもっとやれ、とまでは言わないが、この野放図な包容力は大したもんだなあ。そりゃアニメ化もされるわ

魅惑のプロフェッショナル

久々の晴天。雨風ですっかり葉桜になってしまったが、武蔵野の八重桜や山桜、桃などはもうしばらく楽しめそう。花粉症も何だか軽くなってきたようだ。雨が続いたせいだろうか、シーズンの終わりか。だったらいいな。例によって遅い昼食は武蔵境「大戸屋」にて鶏と野菜の黒酢あん定食ごはん大盛。何かご飯の量がこれで大盛かってくらい少ないんだけど、まあ値段が据え置きだったのでいいや。「肉のハナマサ」で肉や野菜を買う。業務用食材店らしく、あらゆるものが大量、そして安い。ただし独り者では消費しがたく、網に詰まった玉葱一山を泣く泣くスルー。そして業務用に相応しく、パスタや冷食から菓子にまでくっつく「プロ仕様」のブランド名。私はプロと名のつくものに弱い。円谷プロ、プロフィールプロ、MacBook Pro、猿ゴルファープロ、中尾プロ。今度も「プロ仕様」と銘打たれた人形焼きの大袋を買ってしまいそうになるが危うく踏みとどまり、代わりにやはり「プロ仕様」のどら焼き1個を購入。帰宅後に食すも不味いよこのどら焼き。プロの名が泣くぞ。人形焼き買わなくて良かったー(ポリアンナ風)。このどら焼きとポテチ1袋、苺+プレーンヨーグルトを以て夕食とする。駄目だこの生活。

2008-04-10

昼食/夕食

昼食は前日の残りのクリームシチューのみ。パンでも買ってくるつもりが面倒で。夕食は駅前のとんかつ屋「松八」にてカツ丼+豚汁のセット。

2008-04-09

URIAH HEEP/HIGH AND MIGHTYほか

ブックオフにて猟盤。各500円。

URIAH HEEP/HIGH AND MIGHTY('76)
ジョン・ウェットン在籍時の唯一のアルバム。初期のプログレとハード・ロックの混淆したようないかがわしさは後退し、シンプルで引き締まったハード・ロックになった。1曲目"ONE WAY OR ANOTHER"がいきなりウェットンのヴォーカルとベースの活躍する、ファンキーなリフが格好良い曲であっと思わせるが、残念ながら彼のヴォーカルはこの1曲のみ。とはいえ、リードヴォーカルのデヴィッド・バイロンの、高域でひび割れながら抑揚ある歌声は、泣きのバラードを含めいかにも王道ハード・ロックに似付かわしい。派手さはないが好盤。

THE HEADHUNTERS/SURVIVAL OF THE FITTEST('75)
バンド創設者のハービー・ハンコックが抜けてプロデュースに回った。キーボードの味付けがないぶんリズム体が前に出て、ストレートなファンクネスが横溢する。それでもやはりハンコックのえげつないシンセサイザーは重要らしく、他のファンクバンドで代用が効くような気も。クルセイダーズやクール&ザ・ギャングでいいじゃん、みたいな。汎用性が高いネタものではあろう。

ISRAEL KAMAKAWIWO'OLE/FACING FUTURE('93)
風野春樹さんのブログを読んだ直後に発見した偶然に思わず購入。内容的には風野さんのエントリに尽きる。美声の巨漢に歌われる抵抗歌、という意味ではネヴィル・ブラザーズを連想しないでもない。ところで私はこの人の「ヨコヅナ」という、ハワイ出身力士たちのことを歌った曲をラジオで聴いて、その時はエキゾチックでユーモラスなノベルティソングの印象を出なかったのだが、思えばこれも異国で苦闘する同胞英雄への共感とエールを送った歌だったのだろうか。

高橋幸宏『BROADCAST FROM HEAVEN』(90年)
名曲「1%の関係」はじめ、「4:30amのイエティ」など鈴木慶一作詞とのコンビネーションが冴える、幸宏ソロ活動中興の傑作。シンガーソングライター、サウンドクリエーター、プレイヤーの要素がこの時期はまだ拮抗していた。やっぱりこの人はドラムを叩いてナンボではないかと。まあ今となっては腰が悪いから仕方ないか。ともあれ、等身大の男の情けなさを表現することへの自信(何だその自信)がこの頃には本人にも確立していたと思われ。その成果が幸宏を伝説のドラマーからマイナーなJ-POP歌手にしてしまったのだろうと言えば身も蓋もない。

クリームシチュー

昼食はびっくりドンキーにて日替わりハンバーグランチ。
夕食はベーコン・水菜・舞茸のペペロンチーノ、クリームシチュー。玉葱みじん切りを炒め、透明になったら乱切りのじゃがいも・人参・椎茸を加えて炒める。油が回ったら水を注ぎ、コンソメ加え煮込む。塩・胡椒で下味を付けた鶏肉をフライパンで焼き、白ワイン注ぎ、肉汁ごと鍋に合流。別鍋でバターを溶かし、小麦粉加えて弱火で加熱しながら練り合わせ、牛乳を注ぎダマにならないよう攪拌してホワイトソース作り、スープに溶かし入れ適当に煮込んで完成。玉葱と肉がいかれてきたので一気に処分すべく作ったが美味いね。何でクリームシチューは洋食屋やファミレスにないんだろう。クラムチャウダーとかポタージュでは代わりにならないのだ。いや自分で作るからいいんですけどね。

2008-04-08

食うより他にすることなし

終日強い雨風止まず。桜もこれで終わりか。夕方近くにバスで吉祥寺に出かけ、サンロード「天下寿司」にて105円皿×6。やはり公園口の店舗よりだいぶ落ちる。胃がもたれ今日の食事はこれでおしまい。

2008-04-07

『りぼん』4月号雑感(どひー

ドミンゴさんとあゆみさんから誕生日プレゼントにいただいた『りぼん』4月号を読む。そもそも身近に女児がいるわけでもない中年男が、付録付き少女漫画誌を読む機会など、望んで得られるものでもない。いやそんなこともないが望んだことはない。ないぞ。ともあれ数十年ぶりに読む『りぼん』、これが普通に面白かったのだ。以下に雑駁な印象を連ねてみる。

意外にメディアミックス作品が少ない。90年代にライバル誌の『なかよし』が『セーラームーン』で画期的な成功を収めて以来、『りぼん』や『ちゃお』などの競合他誌もアニメ化に向いた企画に一定の注力をしてきたが、現在の『りぼん』にはアニメ化された『アニマル横丁』や、現在も放映の続く『ちびまる子ちゃん』などがあるものの、主力はオーソドックスな学園恋愛ものが占めている。そこから魔法やSFなどの非現実的な要素が(ギャグ漫画と新人作品を除き)排除され、あくまでも実現可能なファンタジーに留めているのは、『りぼん』に限らない集英社少女漫画の送り手の見極めや見識だといえるだろう。

読者層は意外に高い。冒頭のグラビアページには「りぼんガール」なる小2から小6までの(!)専属モデルたちが掲載されており、対象読者の年齢にも重なっていると思われるのだが、実際の作品の主人公たちは中学生から高校生にほぼ限られている。小学生の女の子にとって、憧れを投影するのは年上のお姉さんたちの日常であって、等身大の小学生ではないのだろう(※)。そう考えれば小学生の仕事と恋愛の悩み(なんだそりゃ)に向き合った『こどものおもちゃ』はなかなかに冒険的な作品だったのだなあと思う。もっとも、中学生や高校生を描いた『りぼん』を、中学生や高校生が読んでも何らおかしくない、というより本来の読者であるともいえる。そう考えれば読者層の幅はずいぶんと広く想定されていそうだ。

『りぼん』のエースがわからない。連載陣の名前が、過去にアニメ化された作品の作者を除いて、誰一人見覚え聞き覚えがない。無論ネット上の情報も多くはない。いわゆる漫画ファンのトピックがいかに狭い範囲のものであるかが知れる(まあネットでレビューを書くような人は『りぼん』を読まないだろう)。それはさておき、『りぼん』は何気に少女漫画の表現を革新するような、あるいは個性的な作家を数多く生んでもきている。古くはもりたじゅん、一条ゆかり、大矢ちき、山岸凉子の少女劇画(という言葉はないのだがとにかく作風が濃い)時代から、一世を風靡した陸奥A子、太刀掛秀子、田淵由美子らのおとめちっく路線、近年でも谷川史子や、かの矢沢あいを輩出している(ていうかえらく間が空いているのはいかんともしがたい)。そういう、雑誌全体の色を染め上げるような中心作家というのが今は誰なのか、一見の読者には見当たらない。

とはいえどの作品も突出した部分こそないものの不満もなく楽しく読めてしまうのは、この先『マーガレット』『別マ』『Cookie』『コーラス』『YOU』へと続いていく、集英社の少女漫画の入口・基盤として『りぼん』を位置付ける編集意図の正しさを物語ってもいるのだろう。『ちゃお』や『なかよし』のメディアミックス路線が予め「消費/卒業されるもの」としてあるのに比べると、集英社少女漫画ピラミッドの存在感の確かさが、この『りぼん』の王道ぶりにも窺えるのではあるまいか。

と、総論として語れても、個々の作品感想というのは、あまりにも普通なぶん非常に語りにくいのでした。普通に面白かった、としか。ちなみに付録はいつかどこかのお嬢さんに届くことを願って託しましたよ。
ところで広告ページで知ったのだが、『マーガレット』第7号にタカハシマコが読み切りカラー40Pて! 集英社の少女漫画誌に描いた最初のコアマガジン出身者じゃないかしら。いやいつもの作風とは思うがちょっと読んでみたい。『りぼん』と何の関係もないですね。

※アニメ『セーラームーン』シリーズが4年目『SuperS』で失速したのは、主人公格にそれまでマスコット的存在だった「ちびうさ」を据えたからだと思っている。視聴者の女の子たちに必要なのは憧れのお姉さんとしてのセーラームーンであり、彼女を貶める生意気な幼女ではなかったのだ。ますます『りぼん』と関係ないですね。

昼食

午後遅くに吉祥寺「陳麻家」にて陳麻飯+ミニ坦々麺セット。夕食はなし。深夜に苺+プレーンヨーグルト。

2008-04-06

君は1000%

ドミンゴさんとあゆみさんのお宅に招かれ多摩川の向こう側へ。多国籍音楽と多国籍料理、愉快な仲間に囲まれて、しばし愉快な(奇矯な)人となる。カルロス・トシキとPerfumeとミュート・ビートが流れる中、「猿ゴルファープロ(MacBook Pro的な意味で)」とか「くちばしがアナルみたいな恐竜」とか不思議発言の数々が脳から漏洩。いろいろ申し訳ない。ジャークチキンは魚焼きグリルでできるかな。誕生日のプレゼントにいただいた『りぼん』4月号と、山下スキル氏ご持参のいちご1パックをお土産に帰宅。『りぼん』の感想を書くという課題が残される。ごちそうさまでしたー。

2008-04-05

昼食/夕食

昼食は武蔵境「丸幸」にて中華そば320円(割引)。夕食は中華風炒め、葱とわかめのスープ(インスタント)、ご飯。櫛切り玉葱・短冊切り人参・キャベツを湯通しする。塩・胡椒で軽く下味付けた鶏肉と大蒜、舞茸を炒め、豆板醤・甜麺醤・豆鼓醤・ガラスープの素を投入。野菜を合流し味を絡めて完成。ほとんど調味料の味という気もしないではない。

2008-04-04

オレの言葉は死んでいた(引用)

昼食は焼鮭、ホウレンソウのおひたし、キャベツと油揚げの味噌汁、ご飯。吉祥寺の漫画喫茶で『湾岸ミッドナイト』最新刊を読み、近刊数巻に遡ってみたら止まらない。箴言集。そんなわけで結構な時間となり帰って夕食を作るのが面倒に。「まぐろのなかだ屋」でネギトロ丼。

2008-04-03

キッズプレート

午後遅くにガストで日替わりランチ+割引券でドリンクバーの昼食。ランチタイムもそろそろ終わりで客は疎らだ。隣の席に老人がゆっくりと腰を下ろす。ウエイトレスに何か身分証明を見せて、80歳であると年齢を告げる。料理とドリンクバーを注文したが、飲み物を取りに行く様子がない。セルフサービスであると知らずに注文したのだろうか。微動だにしないままの老人の前にやがて運ばれてきたのは、お子様ランチだった(※) 。高齢者は子供と同じ価格で注文できるようだが、それにしても80歳の老人がアンパンマンの模様のついた皿に載ったちっぽけな料理をつつく姿は、ひどくいたたまれない。味のしないコーヒーを飲み干して店を出たが、老人は飲み物を口にできただろうか。どうして自分は声をかけなかったか。こういうことでいつまでも悩む。

夕食は親子丼、キャベツと油揚げの味噌汁。削ぎ切りの椎茸と生姜輪切りを酒と醤油で煎り付け、水を注ぎ、薄切りの玉葱とガラスープの素を投入。煮立ったら鶏肉を入れ、煮過ぎない状態で溶き卵を流し入れて火を止め蓋をする。ご飯に載せ、刻み海苔を振って完成。いつもの出汁醤油が切れていたのでガラスープにしたが味が薄い。

(※ちなみにこういうもの http://www.skylark.co.jp/hamburg_gusto/sp/kids.html

2008-04-02

2食とも外食

昼食は武蔵境の大戸屋にて鶏と野菜の黒酢あん定食ごはん大盛。例によって遅い時間の昼食で、夜になってもなかなか腹が減らず、ようやく深夜に三鷹ココイチでチキン煮込みカレーチーズのトッピング。ここのココイチには苦い思い出があって(営業妨害で訴えられたら困るので書かない)克服すべく入ってみたが、正直松屋カレーにすればよかった。それでもなぜか1年に2回くらいは食べたくなるのだ、ココイチのカレー。

2008-04-01

桜吹雪けば情も舞う

終日強風。吹き払われて雲は僅か。桜の渦の中で自転車の舵を奪われる。
嘘をつく相手も無く、嘘が取り持つ縁も無く。
正直者は正直つまらない。別に面白い必要もないが。

昼食は吉祥寺「まぐろのなかだ屋」にてネギトロ・ヅケまぐろ・ホタテの三品丼880円。いつも安いネギトロ丼しか注文しないのでたまには。美味い。
ルーエにて今野緒雪『マリア様がみてる マーガレットにリボン』(集英社コバルト文庫)購入。ブックオフで猟盤。
OHIO PLAYERS/SKIN TIGHT('74) 500円
MAMBABOO『BYO FUNKANOUCHE MADE IN SMOKYO JAPAN』(91年)250円
永井ルイズ ヒップスリップス『ヒミツの宇宙旅行』(99年)250円
永井ルイで思い出すのも何だが、小西康陽新刊の日記部分を闘病記目当てに立ち読みしていると、「ムーンライダーズのファンが好きそうな『英国風ひねくれポップ』」とか「松尾清憲やすかんちの曲にありそうなタイトル」といった屈託ある言い回しが目に入り苦笑した(正確な引用ではなくうろおぼえなので為念)。いや気持ちはわかる。
夕食は日清のラーメン屋さん函館しお。削ぎ切りの椎茸と生姜輪切りを酒と醤油で煎り付け、水を注ぎ、短冊にした人参、刻んだ青葱、キャベツを投入、ガラスープの素少々加える。野菜に火が通ったら、塩・胡椒・水溶き片栗粉で下味を付けた鶏肉を投入、煮えたら付属のスープの素加える。火を止めて大きくゆっくりかき混ぜつつ溶き卵を流し入れ、別茹での麺と合流して完成。このくらいの手間をかけるとインスタントも馬鹿にできない。今や値段も馬鹿にできないが。5袋パックが198円で買えたのが遠い昔のようだ。

2008-03-31

心に棚を作れ!(エレクター的な意味で)

雨は止んだが終日寒い。桜はまだ持ちこたえている。そのうち一人で公園のベンチに座って桜餅でも食おう。わー楽しみー(……)。
昼食は焼き鮭、明太子、ホウレンソウのお浸し、キャベツと油揚げの味噌汁、ご飯。丼の残りを白子のりの鯛茶漬けで浚う。三鷹駅のスタバでプリースト『双生児』読む。なかなか進まない。同じフロアの洋風総菜店が閉店セール。とうとう一度も利用しなかった。思えばデパ地下や駅ビルの総菜店で何か買った記憶がほとんどない。どうせヒマだし自分で作ろうとか思うせいだろうか。まあ単に金がないからだろう。
古書店で『オレンジページインテリア』の過去号など読む。男性誌にありがちな「オレ流カスタム部屋」でもなく、さりとて女性誌風「フレンチカントリー」にも走らず、実用性の高さと指向の中庸ぶりが好ましい。『Casa BRUTUS』より『オレンジページインテリア』! スチール棚とカラーボックスのある暮らし! スチール棚はまだないけどきっと揃えます!(cv:島本須美)
夕食はオムライス、キャベツと油揚げの味噌汁の残り。塩・胡椒で下味を付けた鶏肉を中華鍋で炒めて取り出し、玉葱みじん切り・ピーマン・ぶなしめじを投入、火が通ったら取り出す。油足し冷ご飯投入し、ガシガシ潰すように炒める。具を合流しケチャップ加え炒め合わせてチキンライス完成、皿に盛りオムレツ未満の固まり切らない卵を載せて完成。鶏肉の下味、ケチャップ、卵のバターの塩分のみであっさりめの味付け(そうか?)。ご飯を炒めるのに使っている安物のお玉がすっかり曲がってしまった。柄まで一体化した金属製の丈夫なやつが欲しい。

2008-03-30

期限貮阡年

飲んだ翌日はいつも早く目が覚める。腹は減っているのだが、まもなく朝アニメが始まるので外に出られず、億劫だが自分で作る。ベーコンとしめじのペペロンチーノ、インスタントの葱わかめスープ+椎茸+溶き卵。プリキュア5、鬼太郎、マイメロすっきり最終回まで観たところで気力尽きハヤテ最終回はスルー。昼にまた眠くなり起きると夕刻、雨になっていた。
一日中家にいると息苦しく、無理矢理外出しバスで荻窪へ移動、遅い昼食として日高屋でラーメン。ブックオフで買い物。
しおやてるこ『チョコレート』(芳文社)350円
THE JAM/BEAT SURRENDER('93) 500円 ※ベスト盤
THE DREAM ACADEMY/REMEMBRANCE DAYS('87) 500円
エル・マロ『III』(95年)250円。
『チョコレート』は表紙絵に惹かれて立ち読みしてみたら当たりだった。何もない田舎の中学校に東京から転校してきた少女と、彼女に恋した少年の、緩やかな心の交流。もうね、嫌な奴とか一人も出てこないこの純朴さ。少女は家庭の事情に悩んだりもするのだけれどそのことが特権化されるでもなく、誰もが通過する季節として優しく見守る作者の大人の目が好ましい。連載中の『レモネード』(まんがタイムラブリー)が単行本になったら新刊で買おう。
帰宅後に夕食。レトルトのハンバーグに大葉載せ、ホウレンソウと椎茸とベーコンのバターソテー、インスタントの葱わかめスープ、ご飯。ハンバーグは賞味期限を結構過ぎてるが何ともないぜ!

2008-03-29

すいません! 生まれてすいません!

吉祥寺に出て遅い昼食。「七匹の子ぶた」にて海鮮中華丼+半塩ラーメンセット。ここでラーメン以外を注文したのは初めて。味はまあ普通、にしては950円は高いか。LONLONで桜餅でも買おうと思ったがどこも数が足りず。日本人の季節感は21世紀にも健在というか、条件付けの根深さか。
カニとタコの唐揚げを手土産に山下スキル邸へ。山下さんと私の合同誕生会という趣旨でここ数年催されている集まりで、今年は単なるお茶会といった体になった。参加者の数も人当たりも例年より落ち着いたものになっていた。お久しぶりの人や初対面の人と楽しくおしゃべり。いくつになったかなど思い出したくもないが、こういう集まりのきっかけになるだけでもいいか。皆さんありがとうございました。今後ともよろしく。何でも次回はカレーパーティだそうですぜ。

2008-03-28

紺野キタ『Dark Seed —ダーク・シード—』全3巻(幻冬舎)

作者の代表作『ひみつの階段』とハリーポッターが出会ったような、ビクトリア朝英国風ファンタジー。魔法使いとして生まれる者と、その力を制御する者とが対になった世界で、自由に力を行使できないことに不満を募らせる少女・セレスト。そんな彼女が自分の背負う大きな役割を知り成長していく。
力への憧れと力への畏れ、力を持つことの意味。才能の自覚とそれに伴う社会性の獲得という主題をきっちりと全3巻にまとめていて、今どきのファンタジーとしては淡泊に感じるほどの手際よさだ。持てる者の傲慢や持たざる者の怨念といった思春期の主人公たちの情念を描くには、紺野キタの筆致は清潔すぎる気もする。とはいえ作者のまっとうな問題意識と美しい絵、深刻な事態にもどこか飄々とした(良くも悪くも)軽みのあるキャラクターで気持ち良く読んだ。
ところで、この紺野キタ作品が萩尾望都、『群青学舎』の入江亜季が竹宮惠子、『イムリ』の三宅乱丈が佐藤史生と、時を同じくして「24年組」リバイバルを強く匂わせる作品群が並んでいるのは、偶然とはいえ面白い。

寿司は天下の回り物

吉祥寺に出て公園口「天下寿司」にて105円×6皿+168円の卵焼き1皿の昼食。すぐ近くの床屋にて散髪。髪形は丸刈りのほか選択肢がない。夕食はスパゲティナポリタン豆腐スープ。ナポリタンの肉はベーコン。そろそろ飽きてきた。スープには溶き卵を加えた。美味いが、ここまで手をかけるとインスタントを使う意味がなくなってくるな。

2008-03-27

昼食/夕食

昼食は三鷹大戸屋にて鶏と野菜の黒酢あん定食ごはん大盛り。あと少しでいっぱいになるポイントカードが期限切れで心が折れそうになる。夕食は昔ながらの中華そば醤油味。具は豚肉・ホウレンソウ・葱・人参・椎茸。

2008-03-26

美味い安い薄い

中村屋の肉まんあんまん各1個で昼食。夕方、通りかかったジョナサンに吸い込まれ、抗いがたくタンドリーチキン&メキシカンピラフ、シーザーサラダ、ドリンクバーを注文。相変わらず美味いがコーヒーは普通になったなあ。ファミレスコーヒーで一番好きだったのに。びっくりドンキーのコーヒーは意外にも美味い。そして安い。日記の内容は薄い。

2008-03-25

付きますか? 付きませんか?

武蔵野の桜開花。昼食はすき家カレー味噌汁付き。なぜすき家には味噌汁付きの店と別売りの店があるのであろうか。同じ店名同じメニューで内容が異なるのは不合理だ。公式サイトにはその理由を明記してしかるべきであろう。そんな不正を糾弾する社会派ブログ。ちなみに成蹊大学前店は味噌汁付き。ルーエで津野裕子『一角散』(青林工藝舎)、森見登美彦『四畳半神話体系』(角川文庫)購入。津野裕子の新刊が出るとは全く知らなかった。善哉。漫画喫茶で雑誌をつらつらと。2冊あるヤンジャンの1冊から例の袋綴じが奇麗に取り去られている。ろくでもない奴がいるもんだ。思いの外カレーが胃にもたれ、中村屋の肉まんあんまん各1個を紅茶で流し込んで夕食とする、つもりが腹が減りプレーンヨーグルトに缶詰のパインとハチミツを加えて夜食。

2008-03-24

今日は、書くべきことなど何もない(別役実メソッド)

しかし、メインコンテンツであるとラベルの数が告げるところの食事記録は欠かさないのであった。昼食は昔ながらの中華そば函館しお。具は鶏肉・椎茸・人参・水菜・卵。夕食はスパゲティナポリタン+豆腐スープ。ケチャップのみの味付け、肉もソーセージという正統派ナポリタン。なぜかいつもより美味かった。スープは椎茸と生姜輪切りを酒と醤油で煎り付け水を注ぎ、短冊切りの人参、ガラスープの素を加え加熱。人参に火が通ったら豆腐を入れ、インスタントの葱とわかめのスープを加えて完成。簡単簡単。

2008-03-23

シュプレヒコールは春風に乗って

昼食は吉祥寺「鳥ぎん」のあった場所に新しく入った「陳麻家」にて陳麻飯(麻婆豆腐)+担々麺セット。たまに通っていた西荻窪店はなくなったらしい。図書館でクリストファー・プリースト『双生児』(早川書房)借りる。ルーエで立ち読み。黒沢進『日本の60年代ロックのすべて COMPLETE』(ウルトラ・ヴァイヴ発行)が出ていた。これは必読必携、けど今日は保留。レコード屋には寄る気が起こらない。コーヒーでも飲みながら本を読むつもりがどこもかしこも込んでいる。疲れてきたので井の頭公園に早咲きの桜でもと移動したが、家族連れやらカップルやらで満員、やっぱり居場所がない。高齢者医療制度反対の高齢者によるデモ行進を横目に、玉川上水沿いを三鷹に向けゆっくりと自転車を走らす。桜はまだ蕾だが、木蓮や雪柳、山吹、桃などが目を楽しませる。そのまま線路に沿って武蔵境に。安カフェはここでも満杯。本屋に少し寄り、スーパーで買い物して帰路に就く。
夕食は明太子スパゲティ、葱とわかめのスープ(インスタント)、中村屋の肉まんあんまん各1個。

2008-03-22

夕食

親子丼、葱とわかめのスープ。薄めに櫛切りにした玉葱と削ぎ切りの椎茸を、中華スープの素・酒・醤油・生姜輪切りを加えて煮る。鶏肉加え、卵で綴じて完成、揉み海苔振って食す。鶏肉と卵は火を通し過ぎないよう注意。スープはめんどくさかったのでインスタント。おかずが足りないけどまあいいや。

一山300円

午後1時に目覚め、朦朧としつつもまずパソコンを立ち上げる。そのまま着替えもせずニュース等チェックし、寒くなってきてようやくシャワーを浴びる。
昼食は焼鮭、ホウレンソウのおひたし、じゃがいもとわかめの味噌汁、ご飯。食べ終えてぼんやりしていると夕方に。また図書館に行けず。
武蔵境の古書店のワゴンにザバダックの作品群が1枚99円で転がっていた。『ZABADAK-1/銀の三角(2in1)』(86年)、『WELCOME TO ZABADAK』(87年)、『飛行夢』(89年)、『遠い音楽』(90年)、『DECADE』(93年)の5枚で300円。そりゃ買うわ。『桜』(93年)だけ持ってたんだけど内容忘れてるので一緒に聴き直すか。三宅乱丈『イムリ』1、2巻(エンターブレイン)も各350円で購入、計千円。この店では小原愼司『ぼくはおとうと』(講談社)を315円で拾ったこともあり侮れない。
ドトールで火浦功『奥さまはマジ』(角川スニーカー文庫)読む。表題作は第三世界に嫁いだ娘がゲリラの頭目となって大迷惑の里帰りという筒井康隆風疑似イベント小説だが、収録作のメインは抜け忍先生が女子高を舞台に追っ手と死闘を繰り広げるバカSF(?)「てなもんや忍法帳」。徹底的に無内容で、楽しいだけで読後に何も残らない姿勢がいっそ清々しい。読みながら安永航一郎の漫画に脳内変換した(表紙と挿し絵は花見沢Q太郎)。作品が書かれたのは80年代末から90年代前半で、本作に感じるような筒井ミームはその後の時代の変化を経て、現在40代くらいの作家を最後に衰弱しつつあるような気もする。似たような題材を扱っても『フルメタ』や『マモル』のようにどうしても某かの意味や情感が生じてしまい、乾き切った作風にはなりにくい(それでは受けないということもあるか)。ライトノベルといっても火浦功のような「本当に軽い」作家にはむしろ辛い状況なのかもしれない。

2008-03-21

夕食

肉野菜炒め、大根と鱈子の煮付け、じゃがいもとわかめの味噌汁、ご飯。豚肉に塩・胡椒・酒で下味を付ける。玉葱櫛切り・人参短冊切り・ピーマン乱切り・ぶなしめじを30秒〜1分湯通しする。肉と大蒜を炒めて火を通し、湯通しした野菜を投入、ガラスープの素と胡椒を加え全体に混ざるくらいで完成。ケチャップでも加えようかと思ったが、あっさりに止めて正解。

きのこと蒼い子

自転車で中野まんだらけに未組立のプラモデルを売りにいく。値が付かなくとも処分してくれればという気持ちだったが、幸い2400円で売れた。続いて駅で未使用イオカード3千円分の払い戻しを受ける。ブロードウェイに引き返し、「宇奈とと」にてうな重700円+肝吸い(無料)の昼食。中野に出た際の飯は大概ここ。まんだらけとタコシェを覗くも何も買わず。タコシェできのこカルチャーマガジン『きのこ』を立ち読み。アミガサタケの調理法が載っている。実家の庭にトガリアミガサタケが自生しているのだが、どうしたらいいものか判らずそのまま腐らせてしまった。今年はぜひ食してみたいものだ。レコミンツにてNUCLEUS/ELASTIC ROCK('70),WE'LL TALK ABOUT IT LATER('71 ※2in1) を1580円で購入。正体不明の人々で溢れた通路を闊歩する蒼星石の、堂々たる蒼い天鵞絨の背中を見送った。

ブロードウェイを出て、何となく哲学堂へ。井上円了先生のありがたい御託もそこそこにぶらぶら。マゼンタにもほどがある桃の花や、使用後感溢れる牡丹の落花など、鼻水垂らしつつ眺め。寒くなってきたので新青梅街道を西に鼻水垂らしつつ帰宅。沿道の緑地にはレンギョウや雪柳が早くも咲いている。沈丁花も盛りだが香りがほとんど判らない。あっまた鼻水が。

2008-03-20

夕食

スパゲティナポリタン風、中華風スープ。塩・胡椒で下味を付けた鶏肉をオリーヴ油で炒めて取り出し、玉葱櫛切り、人参細切り、ピーマン細切り、割いたぶなしめじ、大蒜みじん切りを投入。火が通ってきたら肉を戻し赤ワイン加え、トマト水煮を潰しながら加える。水とコンソメとケチャップ少々、乾燥バジル加えて加熱。まだ硬いパスタと茹で汁を投入、煮汁がなくなったら完成、粉チーズ振って食す。中華風スープの具は葱と人参に代えて茹でたホウレンソウを投入。茹でてあるので加熱時間が短く済む。

昼食と買い物

吉祥寺駅公園口の「天下寿司」にて。サンロードにもより大きい店舗があるのだが、なぜかこちらの目立たない小さな店の方が美味い、ような気がする。105円×7皿、+168円の卵焼き。運が良ければ焼きたてに当たるのだが、今日は少し冷めていた。それでも美味い。
ロンロンの弘栄堂で音楽誌など立ち読み、ブックスルーエにて志村貴子『青い花』3巻(太田出版)購入。図書館で本を借りるつもりが祝日の閉館時刻を失念し間に合わず。ヨドバシでPC関係とオーディオを眺め、ブックオフで猟盤。
GEOFF MULDAUR/THE SECRET HANDSHAKE('98)
ROBBIE ROBERTSON/SAME('87)
PETER HAMMILL/SITTING TARGETS('81)
V.A./THE MOD SCENE('98) ※DECCA音源のモッズコンピレーション
以上各500円 
THE MONOCHROME SET/JACK('91) 250円
ブックオフ店内の暑さに疲労しバスで帰宅。

2008-03-19

夕食と買い物

もはや「遅い昼食」との強弁能わず。いたずらに財布を膨らませる期限切れポイントカードの束から、未使用のバス共通カードとイオカードを発掘。さっそく使用し雨中バスに揺られ三鷹駅前へ。「松八」(しょうはち)にてカツ丼+豚汁のセット670円。カツ丼ならもうここで充分だ。駅ビルの書店で石黒正数『それでも町は廻っている』4巻(少年画報社)、同『ネムルバカ』(徳間書店)、西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』3巻(講談社)購入。4月末に帰省する分の航空券代をコンビニで支払う。AIR-DOの早期予約割引で東京—函館11700円。今月のスキー帰省は取りやめに。なんかもうすっかり春だそうで。結局1度しかスキーに行けなかったなあ。

2008-03-18

夕食

明太子スパゲティと中華風スープ。スパゲティは水菜に代えてアスパラガスを使用。やや長めに火を通す(といっても5分ほど)。大葉をトッピングに加えてより充実。中華風スープは薄く切った椎茸を生姜輪切りとともに酒と醤油で煎り付け、水を加え葱と短冊にした人参を入れ、ガラスープの素、胡椒を加えて煮る。火が通ったら豆腐を加え、溶き卵流して完成。「風」とするところが謙虚(自分で言うな)。

ファミリーのいないレストラン

今日も遅い昼食はハンバーグガストにて「GGハンバーグ&ずわい蟹グラタン」+割引券でドリンクバー。ランチタイムをとうに過ぎ客も疎ら。家から最も近いファミレスはデニーズなのだが、高いのでガストやびっくりドンキーやバーミヤンまで足を伸ばしてしまう。ブックオフで作ったTカードのポイント率があまりに低いので、ついつい加盟店を利用してしまう罠。ちなみに一番好きなファミレスはジョナサンです。タンドリーチキン&メキシカンピラフだけはガチ。そして行き場のない吉祥寺の夜はCOCO'S。そういや三鷹や吉祥寺にあったBLDYはガストに変わってしまったな。どうでもいい話だと皆さんお思いでしょう。私もそう思う。

荻窪ブックオフにて花輪和一『コロポックル完全版』(講談社)、森永みるく『GIRL FRIENDS』1巻(双葉社)、山田可南『恋愛日記』(祥伝社)購入。『恋愛日記』は『ばんがいち』(女性作家の多いライトなエロ漫画誌)で読んでいた。性愛を描いて少女漫画誌やレディース誌の作品より品がある。その後タウンセブンの家具売場と無印にて収納用品のチェック。ドトールでコーヒーを補給して、青梅街道をたらたらと、日も暮れ落ちた西の空を眺めつつ家路を辿る。

2008-03-17

武蔵野大根

台所の三角コーナーにささやかな緑が息づいている。数日前に捨てた大根の切れ端から芽吹いた小さな若葉が、生ゴミ仲間の屍から水分と養分を吸い上げて、今や広げた枝の長いものは20cmに達し、中心部には花の蕾が出来ている。日光のほぼ当たらない台所でよくぞここまで生き延びた。こうなると立派な命、生ゴミとして捨ててしまうのも躊躇される。とりあえず水を入れた空き缶に移し、日当たりの良い窓際に置いた。さてこれからどうしよう。園芸店でプランターと土を買ってくるか。それとも大家の庭の片隅にこっそり植えてしまおうか。せっかくだから花の開くところを見たいものだ。

昼食を中途半端な時間に食べたので夕食は食べ損ねた。苺と砂糖を入れたプレーンヨーグルトで夜食とする。

新装版『新しい太陽の書』刊行

新装版ktkr(柳下毅一郎氏の日記より)。話題の小畑健によるカバー絵だが、これだったら全然OKでは。むしろ旧版の天野喜孝絵よりもセヴェリアンの若造らしさや、ファンタジーとSFを結ぶ世界観は表現できているようにも思える。いっそ主要全キャラクターの姿を小畑健の絵で見てみたい。ひょっとしてジーン・ウルフが売れてしまうのか。やばい。いやこれは本当に読まれるべき傑作なのだ(私の感想)。ところで小畑健はこの絵を描く上で、あの長大な原作に当たったのだろうか(現実的には梗概と設定を参照する程度だろうが)。

昼食

時間的には限りなく夕食に近い。上石神井「魚角」にてとろ鯖の塩焼き定食(鯖、大根の揚げ浸し、浅漬け、芹と油揚げの味噌汁、ご飯大盛り)。鯖の大きさ、大盛り無料で780円なら良心的か。踏切り脇の八百屋で小振りのとちおとめ1パック198円とか安かったのでいろいろ買う。

2008-03-16

5AM-11PM

5時に目が覚めてやむを得ず起床。布団を片付け、花粉対策で部屋干しの洗濯物を畳みシャワー歯磨きバームクーへンで空腹凌ぎつつネット逍遥、やがてプリキュア5鬼太郎マイメロハヤテを連続視聴、昼食作り食し伊集院のラジオを聞くうちに今日もまた日が暮れ——というありがちなパターンを避けるため降り注ぐ花粉の中を自転車で一路武蔵境へ。書店で『まんがタイムラブリー』立ち読み。山本ルンルンの新しい絵柄(目の描き方が変わった)にもそろそろ慣れてきたか。やっぱり抜群のストーリーテラーだ。
エクセルシオールカフェでコーヒー頼むと30円値上げの280円に。ドトールが200円になったのは驚かなかったが、この280円という価格には、ドトール以上スタバ以下という自分内の格付けが揺さぶられる衝撃があった(失礼な)。それにしてもマスクをした人が多い。店内の紙ナプキンが鼻紙代わりにもりもり消費されていく。いっそティッシュ箱を各席に設置したらどうか。人前で鼻をかむのが恥ずかしいならば、席の間に衝立を設けてブース状にすればいい。よりプライバシーを高めるなら個室化という手もある。閉塞感を癒すためネット端末とビデオを装備。そして目の前のティッシュは使い放題。……何やらカフェの領域を越え別次元のサービスに近づいてきた趣もあるが、業界に一石を投じる試みではあるだろう。あとは風営法との戦いあるのみ。

武蔵境のイトーヨーカ堂には世界の全てがある——そう信じていた時期が私にもあった。しかしヒトが進化の階梯を登り世界の殻を破ろうとするそのとき、けやき通りの彼方にベージュの殿堂は扉を開くのである。Jマート——ヒトはそれをホームセンターと呼ぶ。ここにはヨーカ堂にない全てのものが、とは言わないが相当なものがある。DIY用品やら似非カントリー家具やらに塗れて1時間半くらいは時間を潰せそうな気もするが(中途半端だな)日も暮れてきたのでゴミ分別用に複数のレジ袋を下げられるスタンド(これね)と、洗剤ボトル等の整理ラック、そしてティッシュ5箱パックを購入。160組でなく200組400枚5箱が255円とは! Jマートには世界を革命する力があるね! カードを使えない負け組なので用意した10円玉と1円玉で端数をきっちり処理、夕食に松屋でカレー野菜セット食って帰宅。さっそく購入物をガス台下にセット、イメージ通りの収納が実現した。やったよ近藤典子先生! そんなふうに今日も1日が終わろうとしています。昨日と今日の交差点。久々にアジムスでも聴くか。

昼食

明太子スパゲティ、豆腐とぶなしめじと葱とふのりの味噌汁。パスタをたっぷりの湯と塩で茹でつつ、明太子の皮を切り開き中身をこそげ取り、2/3をバター+乾燥バジルと一緒にボウルに移す。1/3は大蒜みじん切り、割いたぶなしめじとオリーヴ油で軽く炒める。まだ硬いパスタを茹で汁とともにフライパンに加え加熱。煮汁が煮詰まる寸前に水菜を投入、煮汁がなくなったらボウルに移し胡椒加えて和え、海苔を振って食す。昨日の味噌汁の残りに豆腐を足して完食。

2008-03-15

夕食

上石神井「ひもの屋」にて、黒ビール小瓶、突き出し(まぐろ大根、キャベツ+マヨネーズ)、いわしの丸干し2尾、さんまの丸干し+ご飯セット(サラダ、浅漬け、豚汁、ご飯)。〆て2千円弱。飲み屋だと食事だけでは申し訳ない気がして、つい余分に飲み食いしてしまう。新刊書店で桜井のりお『みつどもえ』4巻(秋田書店)、ブックオフで西村しのぶ『一緒に遭難したいひと』2巻(講談社)、紺野キタ『あかりをください』新装版(幻冬舎)を半額セール227円にて購入。紺野キタのは持ってた気もしたが(案の定持ってた)収録作が1本多いので良しとする。西友で豆腐と大蒜とカットバームクーヘン買って帰宅。

電信柱の影からこっそりと

http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20080313#1205410878
http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20080314#1205490915

「のど弁天」より「のど観音」のほうが、有難みを保ちつつ、原語に対応させる意味でより適切かと思われます。ご開帳!ご開帳!
ところで、レコードジャケットの装幀などで用いられる「観音開き」という語に思わず反応してしまうのは私だけではあるまい。そういえばELP『恐怖の頭脳改革』のジャケットは観音開きであったと記憶する。もっともご開帳されるはずだったのは観音様ではなくち(ry

昼食

焼鮭、鱈子と大根の煮付け、ホウレンソウのおひたし、ぶなしめじと葱とふのりの味噌汁、ご飯。1年近く冷凍庫に眠っていた鱈子を恐る恐る解凍し、細切りの大根と一緒に身をほぐしつつ酒と醤油で煮たが、全然大丈夫、美味しい。おひたしは先日の鍋会の名残のポン酢で。丼に残った飯を白子のりの茶漬で浚う。

D.I.Y.

「日記は、あくまでも書かないことが正しい」と断言して、それでもなお日記を書かなくてはならない場合どうしたらいいか、という対処法も先に引用した別役実の日記論には書かれているのだが、さすがにその手法はあんまりなので採用を自重したい。いや9ヶ月も日記を書いていないと書き方を忘れてしまうのだ。書けないついでにもうひとつ引用を重ねてみよう。

歩道の真ん中に車のホイールキャップや大きな木の板が落ちている。どちらもずっと前からその場所にあるように睦美には思われる。誰も道の脇にどけようとしない。

いつものように列の最後尾を歩いていたが、歩道に落ちている大きな板とホイールキャップのところに差しかかると、その意味を、というよりそれに意味があったことを突然理解した。
アスファルトのわずかなへこみにちょうどよくおかれたそれらを踏んでゆくことで、雨の日は皆が水たまりを避けることが出来るのだ!
毎朝の行進に、初めて互いの連帯を感じて睦美は不思議な興奮を覚える。感動しながら、板の上をそっと渡った。
感動はしたものの、渡り終えるとすぐに寂しくなった。この気持ちは誰ともわかちあえない。睦美の職場の人間はほとんど全員が自動車通勤だったし、前を歩く見知らぬ人間を呼び止めるわけにもいかない。
我々は連帯しながら断絶している。睦美はそう思った。
(長嶋有『泣かない女はいない』より)


「連帯しながら断絶している」という感覚は、私がインターネット上で日記を書くことのひとつの根拠だった気がする。気がするが、それはネット人口が少なく、自分の言葉が相手に届く姿を想像しにくい時代の錯覚だったかもしれない。みんなで同じものを見、同じものを読み、同じものを聞き、同じことについて考える。そうしたかりそめの連帯が仕様として組み込まれた強力なツールの前で、ひとりになることは難しい。連帯の前には断絶が必要なのだ。私が日記を書くのを止めたのは、結局ひとりになることが必要だったのだろう。

日記を書いていないこの期間、ひとりで音楽を聴き、本を読み、料理を作り、散歩をした。北海道の実家にも9月と1月に1ヶ月ずつ帰った。3月中にもう1度くらいスキーをしにいきたいと思っている。はてなでの最後の更新で書いた部屋の模様替えは概ね実現した。次は冷蔵庫の周りにスチールラックを組んで、冷蔵庫の上から天井までの全空間を収納にしたい。ペンダントライトの釣り下げコードを10cm短くしたり、排水パイプを避ける形でシンク下に棚を作ることのほうが、文章を書くよりもエキサイティングだ。それらは日記には記されていなくても確かにあったことだが、その確かさは私だけのもので、誰に証明する必要もない。自分の趣味嗜好を社会化したいという動機は、この間すっかりどこかに追いやられていた。

で、更新を再開しようとしているのだが、大きな理由があるわけでもない。部屋を片付けて快適になったせいかもしれないし、ものを書かないと痴呆化が加速するというかすかな危機感のせいかもしれない。もちろん圧倒的に暇であるというのは否定しがたい事実だが。ひとつのきっかけとしてはこの「Blogger」というツールを試してみたことだろう。この海外発のサービスの簡素さと融通性、扱いの容易さ、適当にユーザーを放っておいてくれる距離感に触れて、これではてなダイアリーを離れられると思った。テンプレートのhtmlを手探りし、文字の大きさや行間、色合いなどを調節しながら、部屋の模様替えにはまっていたときの熱がモニタの上にもいくぶん宿ってきたようだ。

山下スキルさんのリンク集にも(リンク集というのもネット上の編集文化として残ってほしいなあ)こちらのアドレスが登録された。「100円レコード買いまくり、そして聴きまくりレビューしまくり」なんて書かれてる。えーとね、最近は100円レコードに出物がなくなって、ブックオフの250円〜500円の棚が今熱い。まあそのうち何か書くでしょう。

大勢の視線を背に感じながら「ひとり」のふりで言葉を吐き出し続けることが、この新しい場所ならできるだろうか。今はカウンター型のレコードラックの上に炬燵の天板を載せ、机替わりにしてキーを叩いている。そのうちノートパソコンを収容できるスライド式のテーブル台を自作したいな。

2008-03-09

正しい日記の書き方

その不幸すらも日記の材料とし、不幸と感じ取り得ないことが彼の不幸なのである。

日記を書いていない人間だけが、生きることに専念することが出来る。生きることを、ひたすら生きるためにのみ、推進することが出来る。従って原則的なことを言えば、「正しい日記の書き方」などというものはない。日記は、あくまでも書かないことが正しい、のである。

(別役実「正しい日記の書き方」『日々の暮し方』より)