日々のつぶやき

2009-08-10

WORLD HAPPINESS 2009

WORLD HAPPINESS 2009
2009年8月9日(日)東京:夢の島公園陸上競技場

Yellow Magic Orchestraの名前の大きさを思い知らされるようなフェスだった。真っ先に入場してセンターステージ前を占めるべく、炎天下の行列にはYMOシャツを着た人々が群れていたという。実際開場後も、センターステージ前のエリアの客層と後部エリアとで、客層が古参のYMOヲタと普通のフェスの客とに分離しているのが味わい深かった。それはそれとして、出演者はどの組もとても聴き応えがあり、総じて満足度は高かった。以下、出演順に所感。

■mi-gu
ドラマーのあらきゆうこ率いる、ポスト・バッファロードーター/スーパーカー的なミニマルとエレクトロの入ったロックバンド。何よりあらきのシンプルだがタイトにグルーヴを駆動するドラミングが魅力的。ピック弾きのファズ・ベースが、ダンスではなくロックの側に帰属することを主張する。これはいいバンド。

■pupa
高橋幸宏率いる大所帯のエレクトロニカユニットだが、原田知世ヴォーカルのキュートな存在感だけでなく、メンバー全員の貢献が音と佇まいから感じ取れるのが何より。冒頭から溌剌としたドラミングを聴かせる幸宏にヲタ歓喜。LOVE PSYCHEDELICOのサポートにも駆り出され、権藤知彦と堀江博久は今日一日大活躍。

■コトリンゴ
commons肝煎りで(?)レフトステージに出演。四谷天窓シーンというか、一部で根強い支持を集めるインディーズ女性シンガーソングライターシーンの頂点か。清楚な白ワンピースで演奏後に物販の売り子をするとか、まさに天窓インディーアイドル。歌い方を含めて音楽的には初期クラムボンに近い、と整理すればそこに留まってしまう。サポートドラムが坂田学で当然のように素晴らしい。今回は優れたドラマーに恵まれたフェスだった。

■LOVE PSYCHEDELICO
今回唯一の、腰を揺らすグルーヴを持ったロックンロール・バンドだった。このフェスではそういう当たり前の、ストレートなロックバンドが貴重。現役ライヴバンドの場慣れした演奏力と、楽しそうなヴォーカリストの笑顔と動きに心身が寛ぐ。楽曲にYMO「NICE AGE」を入れ込むなど、YMOファンに気を遣ってるなあ(まあリスペクトもあるのだろうけど)。

■高野寛
デビュー23年目。テントレーベルのオーディションでは、審査員が高橋幸宏とムーンライダーズ、司会がいとうせいこうであったという。その3方の前で、衒いなく堂々と演奏されるのは、往年の大ヒット曲「虹の都へ」であり、代表曲「ベステンダンク」だ。大人になるとはこういうことか、と感心させられた。かつて狭山で行われたハイドパーク・ミュージック・フェスティバルで浴びせられた心無い罵声を思い起こすと、なおさら今の存在感が頼もしい。

■Y.Sunahara
トランスでもエレクトロニカでもなく「テクノ」というジャンルの中心を貫くような楽曲群が、スタイリッシュな映像を伴って、大音量かつ最良の音場感で味わえた。その演奏スタイルも、ラップトップと音源を組み合わせたような、近年のクラフトワークのステージに似た王道そのもの。ところでまりんの今のYMOに対する心境は、『ヱヴァ:破』を遠い目で眺めるあびゅうきょのそれに近いのではないか。

■ASA-CHANG&巡礼
浦山秀彦は欠席。ASA-CHANGとU-zhaanの二人の打楽器奏者が、エレクトロニクスと生楽器を交えながらエスニックな躍動を生み出す姿が圧巻。U-zhaanがタブラをトリガーに、サンプリングされた女性の言葉を呼び出し、リアルタイムで文章を練り上げていくパフォーマンスが面白い(あるいは、言葉はあらかじめ遂時的に並べられているのか)。

■スチャダラパー
いきなり「ブギーバック」で中年の掴みはOK、会場は総立ちに。「みなさん座ってゆったり聴くモードだとライヴが成立しないのでどうしようかと思った」だの、「皆さんに「セイイエー」とか強要するのは心苦しいんですが」だの、眼前のYMOファンに対する心遣いの数々。たぶん、前年にLIVE EARTHでHASYMOの直前に出てエライ目に遭ったというリップスライムあたりから因果を含められているのではと推測。おそらく放送でもソフトでも流れないであろう登録商標連発の曲とか、「マンモスうれピー」とかいろいろありつつも、なぜか可愛らしい動物の映像しか覚えていないから不思議。

■THE DUB FLOWER
いとうせいこうとかせきさいだぁ≡、DUB MASTER Xが組んだバンド。黒い生演奏によるヒップホップのアプローチは、かつて近田春夫がビブラストーンで試みたスタイルだ。ダビーな演奏に乗せて井上陽水「傘がない」とボブ・マーリー「EXODUS」をカヴァー、閉塞からの脱出を訴える。いとうせいこうの言葉は、もはやライムの形すらとらず、ストレートに噛んで含めるように観客に伝えられるのだが、このスタイルの説得力はMCのキャラクターに依存するのではないか、と思わなくもない。笑いを捨てたいとうせいこうの本気はどこまで伝わるだろうか。

■Chara
膀胱の訴えに従った結果、遠くで行列に並びながら流れてくる音を拾うのみ。ブランクのためかちょっと痛々しかったような。

■グラノーラ・ボーイズ
田村玄一、桜井芳樹のロンサムストリングス組に、キリンジの堀込高樹が呼びかけて成立した、脱ロック/汎民族音楽的ポップユニット。どちらかというとかつてのワールド・フェイマスや鈴木惣一朗の手掛けそうな音楽をなぜ堀込アニが、と思うがこれが素晴らしい。ジェントルな声と滑らかな演奏が溶け合って、このフェス一番の心和む音楽が展開された。1曲目はマイケル・ジャクソン『OFF THE WALL』の収録曲をハワイアン風に(?)アレンジしたものだったが曲名不明。桜井のギター名人ぶりはさすがだが、元シンバルズのドラマー矢野博康の演奏もよかった(またしてもドラマー!)。それにしてもこの演奏が耳に入らず、声高にYMOの話をしてる人は何なのか。

■ムーンライダーズ
慶一はスズキ自動車のマークのついた真っ赤なサッカーのユニフォームを着て登場。曲はまあ野外フェス向けというか、「ヴィデオ・ボーイ」「シリコン・ボーイ」「冷えたビールがないなんて」「BE ATTITUDE」といったライダーズファンおなじみの曲が、ラウドでラフな(ややグダグダな)演奏で披露される。あんたら、もっとイイ曲山ほどあるだろう!と思うが、フェスだから仕方ないのか。だが、どうもライダーズファンがそれほど多くはないらしく、いつものコール&レスポンスもやや疎ら。そのくらいの温度でいいんだよ!いつもいつも予定調和じゃバンドがダメになるよ!(何様)しかしステージ上の慶一のアグレッシブな動きは大したもの。大画面に映し出されたこの可愛いおじいさんは何者なの、と非ライダーズファンの心に刻まれたであろう。岡田と武川は太ったなあ。くじらなんて顔の丸さが南佳孝みたいだった。

■相対性理論
ライヴを観るの初めて、音もCDは買わずYOUTUBEで知るのみ。だったけどこれはすごく面白かった。パワーコードって何それとばかりに単音を連ねていくギタリストに、ハイハットで精緻に16を刻み続けるドラマー(またしても凄腕!)、ファンキーなグルーヴを確実にキープするベーシストの組み合わせは、往年のポリスのような演奏力だ(誇張)。そしてその無駄に高い演奏力が、グラビアポエムかネカマの繰り言のような歌詞を棒立ちで歌う萌え声ヴォーカルに合わさると、あざとさを超えたストイックな説得力が生まれる。ライヴハウスの密室的な共犯感覚のない野外フェスだからこそ感じる、身も蓋もないバンドのむき出しの骨組が魅力的だった。ちなみに映像は固定カメラによる遠景のみで、決して顔のアップを交えない徹底ぶり。

■Yellow Magic Orchestra
さて、これだけのために来たと言ってはばからない観客の思いに、YMOは応えられただろうか。
1曲目は何とビートルズ「HELLO GOODBYE」のカヴァー、というよりコピー。幸宏のドラムはリンゴの手癖を見事にトレースし、細野のベースはヘフナーのヴァイオリンベースだ(さすがに左利きではなかったが)。
なかなかに洒落の利いたお遊びと思いきや、次に演奏されるのは「千のナイフ」! 原曲のスカ/レゲエ調ではなく、ヘッドハンターズのようなファンクスタイルで演奏されるそれは確かに新鮮だった。小山田のノイジーなギターは「もっとアイズレーみたいに弾いてくれ」という感じだが。
前年の白眉だった「RIOT IN LAGOS」は今年も演奏された。この演奏を断片的に聴いて、フルで聴けなかったことを悔やむ気持ちで今年のフェスには参加したのだが、演奏の完成度は前年度のそれには(そしてヒホンでの演奏にも)及ばない。ECMの空間性/音響性とCTIのダンスグルーヴを折衷する、究極のジャズファンクとも言える演奏は今年は聴けず、マイルス・デイヴィス『アガルタ』のような渾沌が取って代わっていた(ここまで過剰になってしまうと、2007年のパシフィコ横浜でのクールな演奏がむしろ好ましく思える)。
その原因は自然な移り行きというよりは、単に不調というべきものだろう。教授の絶妙だったエレピのバッキングは影を潜め、前年度は世界最高級だった細野のベースは不調だった。リハーサル不足か体調不良か(かなり痩せていた)、慣れないヴァイオリンベースに苦労したか(なぜ2曲目以降でフェンダーに持ち替えなかったのか。あれはファンクベーシストの楽器じゃないだろう)。一方、高橋幸宏のドラミングは近年、どころか過去最高と言っていい素晴らしさで、本日演奏した優秀な若手ドラマー全員を凌駕してしまったほど。どうしたんだ一体。
アンコールに演奏されたのは「ファイヤークラッカー」。この演奏もまた素晴らしいもので、木琴を演奏する細野の姿はいかにも新世紀のYMOらしい。
とはいえ、近年のYMOの再活動にもずいぶんしがらみができてしまったようで、完全停止でも構わないが、少しペースを緩めてもいいのではないかとは思う。

センターステージとレフトステージを交互に切り替える進行は、セットチェンジの待ち時間すらない実に効率的なものだったが、その効率主義が客にとっては、追い立てられるような余裕のなさに感じられもした。とはいえ、短時間で数多くの価値あるアーティストのライヴを、ある程度まとまった量で味わえるというのは、なかなか優秀なパッケージではなかったかと思う。さて来年はどうしようかな。またYMO頼みだとなんだかなあ。

そういや地震凄かった! 終了後だったけどさすが埋め立て地、液状化のメッカだと思ったよ。

2009-08-07

『サマーウォーズ』に主人公側のドラマを加えてみる

もしも健二にとって「数学の才能」が「呪い」だったとしたらどうだろう?

☆☆☆

体育会系で会社人間の父、会社勤めで事なかれ主義の母。抑圧と孤独のもとで育った健二。

スーパーでレジ打ちの計算間違いを大声で指摘する幼い健二。わき起こる笑い。赤面する母。健二を睨み付けるレジ係。母「恥をかかせないで!」

食事時に算数の100点の答案を掲げて自慢気な健二。父「食事に集中しなさい。男がそんなものをむやみにひけらかすんじゃない」

父親の意向で剣道を習わせられる健二。一向に上達せず、後輩にも侮られる日々。

数学教師の間違いを指摘する中学生の健二。以後教師から3年間無視され続ける。

好きな女の子に「数学教えて」と頼まれる。夢中で教える健二。つい「なんでこんなのが分からないの!」泣く女の子。数日後、イケメンと歩いている女の子の姿を目撃する健二。

高校入学。数学の試験問題を入手した不良たちに囲まれ、問題を解くように強要される健二、やむなく協力。やがて不正が発覚、連座して親を呼び出される。父に殴られ、母は泣く。

(主人公補正)意地で断り、不良にフルボッコ。そこを、竹刀を振るう夏希に救われる(健二に狂言を依頼する伏線)。

本人は乗り気でなかったが、数学教師の勧めで数学オリンピック予選に出場。呪わしい数学の才能が、実はありふれたものと思い知り、しかも本選に進めず。唯一の拠り所を失う健二。友人「数学だけがとりえだと思ってたのになあ」健二「……」

長野の陣内家。携帯に届いた謎の数字の列を、オリンピック落選の憂さ晴らしに解いてしまう健二。そしてOZの大混乱。健二「また数学のせいで、ろくでもないことに……!」

——以上の身の上を夏希に話す健二。だがそのヘタレぶりを一蹴される。夏希「あんたに数学のできない人の気持ちが分かるの?よく何もとりえがないとかいえるわね!どんだけ上から目線!(観客の代弁)」
「数学しかできないんなら、数学でできることを何か考えなさいよ!」

こいこいステージ。世界中のアバターを背負いながら、最後の決断に悩み苦しむ夏希。
そこに健二、自信あり気に「大丈夫、先輩、これで合ってますよ!」
夏希「(健二くんが計算してくれたんだ! 大丈夫!)」
そして勝利。だがしかし
健二「えっ、ボクは夏希先輩を信じてただけですから! こいこいの結果予想なんてムリムリムリムリ」
思わず健二を殴る夏希。

そして、ラストで数学の能力を全肯定、全解放。
→呪いの解除、社会(家族)からの承認

☆☆☆

……というようなフォローがあったなら、「リア充死ね」という非モテの怨嗟の声をそれほど浴びることもなく、大家族に憧れる理由付けともなり、『時かけ』の「高瀬くん問題(いじめに切れて消火器を振り回す人)」への一定の回答にもなり、『ぼくらのウォーゲーム!』とはまた違うカタルシスが生まれたのではないか。

まあ後知恵で何とでも言えるわけだけれど。それにしてもPixivでサマーウォーズ絵を描いているのがほとんど女性であり(しかもカズマ/キングカズマが大部分を占める)ネット上で映画を罵っているのが男性に集中しているのを見るにつけ、細田守はある意味勝者だなあと思わずにはいられない。

ところで本作での大家族礼賛に対する「我々はそれがイヤで核家族を選んだのではないか」という批判を見かけたが、ここでの「大家族」は「縮小された社会」に等しい。家族から逃げても「口うるさい小舅」や「セクハラおやじ」「DQNないとこ」はどこにでも存在している。逆に言えばこの社会が「拡大された家族」なのであり、どこにも逃げ場はない。細田守は東映アニメーションという旧弊な大会社で、戦うことでのみ製作条件を勝ち取ってきた人だ。「抑圧のない場所で人が育つわけがない」と言い切る彼は、宮崎駿同様に戦闘的な個人主義者であり、「ネットで言葉を吐いてるような奴が個人主義とかw」などとうそぶいているのかもしれない。そのメンタリティはDQN的とさえ言えよう。村上隆と仲良いのは案外そのあたりの共通性にあるのかも。

2009-08-04

『サマーウォーズ』感想(Twitterまとめ・ネタバレ)

久々のブログ更新がこれというのも何だけど。ほぼ投稿順に。

☆☆☆

『サマーウォーズ』観た。とにかくよく出来た娯楽作だが、情動は刺激されない映画。『ぼくらのウォーゲーム!』を観たことのない人の感想が知りたい。

数年前のSFではネット空間とそのキャラクターは「異界/他者」として描かれたのに対し、『サマーウォーズ』では徹底的に現実と紐付けされた「アバター」として描かれる。

『ウォーゲーム!』でネットで戦う主人公を支援したのは「未知の新世代」としての子供たちだったが、『サマーウォーズ』では普通にアカウントを持っている市井の人々がその役を担っている。この変化が、この10年にインターネットが獲得してきたものでもあるのだろう。

画面一杯に並ぶ変色した手紙や写真の群れは、可視化されたネットワークの姿。そこに介在するのは手紙という近代システムであり、写真機というデバイスであり、電話という情報テクノロジー。

「守るべきもの」が自分→恋人→その家族→地域→国→世界と同心円状に広がる。それを可能にするのは情報テクノロジー。人はネットワークによって生きる。

一家族に社会インフラの担い手と、世界を動かす才能が集うのは、映画のご都合主義でもあるが、平凡な「家族」が市井の人々に支えられた「社会」のアナロジーになっているため。主人公の天才も、人が社会のなかで担いうる何らかの役割に敷延される。

一家族が世界を救う戦いに挑むという発想は、共同性の再発見という非常に健全なテーマに収束する。

その主題の健全性が、時にアニメーションの官能性を抑圧する。

『サマーウォーズ』を高畑ジブリ作品的な健全さから官能性の側へと救い出すのは、観客側の主体的な欲望にかかっている。

そんなわけでケモショタ方面の動向に注目(しない)。

■以下とりとめないメモ

仮想空間が「OZ」というのは、ウテナの「鳳学園=大泉学園」に続く東映のメタファーかな。巨大なるものはすべて東映w

そういえば『サマーウォーズ』を観たのは、リアルOZことTジョイ大泉なのだった。

もう少しルール説明が劇中でなされていたら「花札アニメ」という新ジャンルが開けたかもしれないのに残念。

思った以上にジャンプバトル度が高いのは意外。pixivのサマーウォーズ絵がカズマ/キングカズマ一色になっているのもやんぬるかな。

正直『電脳コイル』以後の仮想現実描写としては古い気もするが、細田印のデザイン性と圧倒的な物量で押し切った感がある。

2009-06-26

『けいおん!』最終話を観終えてのメモ

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/

Twitterで一行ずつ書くような感じで。実際にやりかねなかったが自重してよかった。

☆☆☆

物語は、ストーリーとドラマで構成される(オレオレ定義につき注意)。
時系列に沿って起きる出来事を並べたものがストーリー。
登場人物の横のつながりの間に生まれるものがドラマ。萌えはその最小の現れだ。

1クール13話程度の長さでは、実のところ充実したストーリーを描くには足りない。
ストーリーとドラマの両方を満足させようとすれば、どちらも中途半端に終わる。

ならば、1クールのほとんどを、個々の登場人物の内実と、その関係性に根ざすドラマに費やすのはひとつの戦略として正しい。
ストーリーは他愛なく、キャラクター性とその相互の関係性を重視した萌え4コマという原作フォーマットは、その点で1クール放映の深夜テレビアニメというフォーマットに最適であるといえる。

『けいおん!』は、まさにそのようにして生まれた、萌え4コマ原作アニメの最大の成功例として(『らき☆すた』を措く理由は後述)今後語られるだろう。

その希薄なストーリーによって語られるべき最大の主題が「成長」というフォーミュラであり、その「成長」は「音楽」によって達成されなければならない、というのが作品属性が要求するミッションとなる。
ストーリー上の最終回である12話「軽音!」は、その主題とミッションの完璧に近い達成だといえる。

ただし、「成長」のフォーミュラをあまりにも忠実にトレースしたところが、ややもの足りなさを感じさせないでもなかった。
なぜなら、萌え4コマ原作アニメとしての『けいおん!』の本質は、キャラクター相互の関係性から生まれる「萌え」を拡張した「ドラマ」にあると思うからだ。

その「ドラマ」の最も先鋭的な実現が、わずかな動きとレイアウトとカット割りの驚異的なデリカシーによって描かれた11話「ピンチ!」である。
その11話を見せられた後では、12話はあまりにも「いい最終回」にすぎた。
もっともそのベタな心地よさは、近年まれなプロの仕事ぶりだと感嘆はしたが、そこからはみだした「ドラマ」を惜しむ気持ちは残った。

それゆえに「冬の日!」はストーリー上の「13話」ではなく「番外編」として用意されなければならなかったのだ。
奇しくも芭蕉の句集と同じ題名を持つこのエピソードでは、軽音部5人それぞれの物語が、俳句のように独立して進行する点景として描かれ、出来事が「ストーリー」として並べられてはいない。

しかもその点景は、必ずしも穏やかなものではない。
律は、ささいな誤解により煩悶する(深刻ではないが、11話を反復するように)。
梓は、友人から預かった小猫の変調にパニックを起こす。
紬は、1人で挑戦したアルバイトで(成長!)しでかした不始末に涙ぐむ。
そして澪は、創作のために自らの意志で、仲間の輪から外れようとする。
これらの個々の出来事は、相関を持たずに独立しているので行き場がなく、些細な問題であるにもかかわらず、解決が見えずに視聴者に強い不安を与える。
今回ごくわずかしか用いられないBGMも、効果的に緊張感を高めている。

その不安と緊張を取り払うのが、ほかでもない主人公であるところの唯だ。
メンバーのうち1人だけ何の不安もなく、妹の憂と楽しげに鍋の用意をしている彼女は、ほかの4人の事情などおかまいなしに、どうでもいい内容のメールを発信する。
そのメールの介入により、ばらばらな5人の時間がふたたび縒り合わされて「ドラマ」が生まれ、不安と緊張の時間は終わり、いつもの「ふわふわ時間」が流れ出す。
「軽音!」がストーリー上の主題である、唯の成長を描くのに対して、「冬の日!」は5人を結びつける要としての唯の存在価値を描いているといえる。
2つのエピソードは「ストーリー」と「ドラマ」の両面から、唯の主人公たる所以を明らかにしているのであって、どちらもシリーズの末尾に置かれるべき「最終回」なのだ。

監督の山田尚子と脚本の吉田玲子が「新しい作品」として求めたものは、どちらかといえば後者の「ドラマ」にあったのではないかと思う。
しかし、そこだけを求めるなら『らき☆すた』とはまた違う意味で前衛作になりかねない。
そこで、ベテラン石原立也と花田十輝に「ストーリー」としての完結編を委ねて商業作品としての要件を満たし、新人監督と(ベテランの)シリーズ構成のコンビは、そこに盛り切れない番外編で「新しい作品」の本質を全うしたのではないだろうか。
そう考えると、これは変則的なファンサービスではなく、実に理に適ったシリーズ構成だ。

『けいおん!』放映開始当初に私は

案外優れた「日常アニメ」を生み出す可能性のある好企画

と書き
ただし、萌え4コマの「空虚」に向かいあう姿勢において『らき☆すた』より後退した感は否めない。京アニの技術力をもってすれば「空虚な日常」の空虚さそのものを映像化できるのではないか、というのが、小ネタで客を釣りつつ山本寛が目論んだことに違いないのだ。『けいおん!』では吉田玲子という「プロの脚本家」を得て、原作の空しさを補完し、30分のエピソードを持たせられるだけの内実を与えてしまっている。
いや、まっとうな作り手ならそうするに決まっているのだが。
とりあえず『けいおん!』は京アニ版『ひだまりスケッチ』ではなく、「最良の舛成孝二アニメ」に近いものになってくれることを期待しつつ観続けたい。

と書いた。
http://marron555.blogspot.com/2009/04/blog-post_10.html
その期待はかなり達成されたのではないかと思う。

『らき☆すた』で山本寛は、空虚さを空虚さのままに提示して、視聴者の2次創作的な想像力がドラマを補填するための「場」を用意した。その「場」は後を受けた武本康弘によって「遊び場」と化し、作品に商業的な成功をもたらした。

『けいおん!』ではそんな原作4コマの空虚に、作り手が内実を補填したという意味で「公式2次創作」ともいえなくはない。
ただし、その空虚には実は宇宙を満たすエーテルのように、「ストーリー」や「主題」では捉え切れない豊かな「ドラマ」の原資が横たわっていることを、受け手が想像で補うまでもなく圧倒的な描写力で示して見せた。これは本来保守的な作り手である京都アニメーションが『らき☆すた』の反則的な成功の後に、その実験性も踏まえたうえで産みだすべき作品として、実に無理のない達成ではなかったか。

2009-06-24

夕食メモ

西友ブランドの塩ラーメン:鶏肉・もやし・ニンジン・椎茸・卵・万能葱を具に。
冷奴:おろし生姜載せめんつゆかけて。
胡瓜とちくわの辛し和え:包丁の柄で押し潰してから大振りに切った胡瓜と、ちくわの輪切りを豆板醤・柚子ポン・ごま油・すりごまで和える。

昨日の夕食との差分チェックみたいだが、限られた材料を使い回す苦心が如実に窺え、真に主婦に役立つ献立だと言えまいか。もっとも主婦は夕食にインスタントラーメンは出さないだろうけど……。

光の速さで保存

本日、我が陋屋にBフレッツが開通した。ADSLでも特に不満はなかったのだが、小さな郵便受けに押し寄せる「重要なお知らせ」の茶封筒の山、数少ない固定電話の発信源であるところの勧誘攻勢に加えて、ついに直接部屋のドアをノックされたあたりで心が折れた。もうどうにでもなーれ、と、たまたま受けた電話に応えてしまったのだ。

それから10日で開通したのだから結構な段取りではある。最初はそれほど速さを実感しなかったのだが、動画を観るとやはり快適。回線の無駄遣いという気もしないではないが、安いからいいか。




これはいいおっさんホイホイ。

2009-06-23

夕食メモ

冷やしとろろそば:山芋すりおろし、刻み葱、刻み海苔を冷水で締めたそばとよく混ぜて、つゆにつけながら啜る。とろろと葱と海苔の残るつゆを、そば湯で割って完食。
もやし・胡瓜・ちくわの酢の物風:輪切りにした胡瓜を塩もみし放置、水洗いして絞る。茹でたもやしを冷水にさらし、胡瓜、ちくわの輪切りとともに、柚子ポン・ごま油・すりごま・七味で和える。
冷奴:生姜すりおろしを載せてめんつゆをかける。
鶏の塩焼き:鶏肉に塩・黒胡椒をまぶし、魚焼きグリルで焼く。

暑くて億劫だから簡単なものを、と思って始めたら、それなりに手間がかかるうえに結構な量になった。美味かったけど。

爬虫類の日

くもりのち晴れ。部屋干しで生乾きの洗濯物を外に出す。暑いがまだクーラーは使わない。窓を薄く開け換気扇を回して凌ぐ。

午後から石神井公園へ。夏の到来とともに緑ばかりが濃さを増し、アジサイを残して周囲の色彩が奪われていく。環境調査で捕獲されたカメ数匹、足下の木道を走るカナヘビ2匹に加え、公園を囲む土手の薮に蛇まで発見。ヤブヘビだ。いや、薮に姿を消したのだから逆か。今日は爬虫類に縁がある。これが瑞兆で金運がもりもりアップしたりするとよい。

公園に集うカメラマンといえば、定年後の暇を持て余した初老男性であるのが常なのだが、今日は三脚と望遠レンズを装着した一眼レフを構える若い男の姿を、公園のあちこちで見かけた。平日の昼間というのに、いったい何をしている人たちなのだろうか(……)。

一度入ってみたかった駅前の喫茶店「シュベール」で、チーズケーキとアイスコーヒーのセットを注文。ゆったりとした店内には適当に客がいて層も広い。安カフェに比べれば高いが、コーヒーのおかわりが100円でできるので、2杯頼むのがお得。私もホットコーヒーを追加、飲み干すまでにマイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』上巻(新潮文庫)を読了した。イスラエルが建国されなかった現代世界で、アラスカに設置されたユダヤ人居留地で起こる殺人事件の捜査が、ハードボイルドタッチで描かれる。改変歴史小説といえばプリーストやエリクソンを連想するが、むしろ矢作俊彦が中国に支配された現代の横浜を舞台に私立探偵ものを書いたらこんなふうになるのではないか。SF的な大ネタがあるかどうかは下巻を読まなければわからない(主要SF3賞を独占している)。それはさておき、この店は食事のメニューが充実しているのがありがたい。今度はハヤシライスでも注文してみよう。

帰ると洗濯物はすっかり乾いていた。それにしても暑い。夕食作るの億劫。

2009-06-22

夕食:鶏とチンゲンサイのパスタ

食べやすい大きさに切った鶏肉に、塩・黒胡椒で下味を付け、オリーブ油で炒め、焼き目が付いたら油を切って取り出す。
たっぷりの湯と塩でパスタを茹でる。
鶏を焼いた油の残るフライパンにニンニクみじん切り、裂いたぶなしめじ、食べやすい大きさに切ったチンゲンサイを順次投入、鶏肉を戻し中華ガラスープと日本酒を加える。
茹で上がる前のパスタを適量の茹で汁とともに加え、汁がなくなったら完成。

湿気に耐えて作った甲斐あって、塩気も茹で加減も丁度良い。冷奴とペットボトルの茶を添えて食う。

つぃったららー

「Twitterで書けばいいようなことを、あえてブログで書く」という方針で長年暇つぶし日記サイトを運営してきた私だが、突然「Twitterで書けばいいようなことは、Twitterで書けばいいじゃない」というひとつの気づきを得て(←ライフハックふう)Twitterを今ごろ始めてみました。ていうかミクシィエコーで充分だったんだけど、サービスがどんどんいらない子扱いになってきたので乗り換えた次第。おかげで順調にブログの更新が滞ってますが、ヘッダの下の3行ほどを読めば生存が確認されると思います。3行以上読みたい人は「follow me on Twitter」をクリックしてください。followしなくても大丈夫よ! べっ別にアンタに以下略。それはそうとfollowの数が3桁くらいになると、情報の奔流が緑の文字列となって滝のように網膜上を流れると聞くが(新しい表現!)、今のところ井戸に小石を投げ込んでは水音を聞くような感じで、知り合いからfollowされたら返すという状態。まあしばらく様子見で。アルファついったらーへの道は果てしなく遠いが、弥勒菩薩が降臨するまでにはなんとかしたいものだ。

で、日常の些事はTwitterで、長文のオピニオンはブログで、という使い分けにはなりようもなく。とりあえずこれから夕飯作るのが面倒。部屋干しの湿気が私を打ちのめすー。

2009-06-13

購入メモ(5月後半〜6月前半)

漫画
カラスヤサトシ『カラスヤサトシ』4巻(講談社)
袴田めら『わたしの大切なともだち』1巻(双葉社)
おがきちか『Landreaall』14巻(一迅社)
小石川ふに『ゆるユルにゃー!!』2巻(徳間書店)
岩本ナオ『町でうわさの天狗の子』4巻(小学館)
あずまきよひこ『あずまんが大王』1年生(小学館)
岩岡ヒサエ『ゆめの底』(宙出版)※ブックオフにて350円

CD
あがた森魚『少年歳時記』(08年)
ブックオフにて1550円。これまでで一番高い買い物かも。

2009-06-12

喪の仕事

ロッキングオン流の、というより渋谷陽一流のインタビューが昔から嫌いだった。インタビュアーの中であらかじめミュージシャン像を用意して、そこに向かってインタビューイを追いつめていくようなやり口や、対象との距離を限りなく近づけようとするような馴れ馴れしさが苦手だった。音楽の来歴そのものよりも、ミュージシャンの下世話なライフストーリーばかりを追及する歪んだ「作家主義」では、アイドルを捏造することはできても、決して音楽そのものには近づけないだろうと思っていたのだ。

ところが『ROCKIN'ON JAPAN 特別号 忌野清志郎1951-2009 』を読んで、少し考えが変わった。忌野清志郎への追悼として、過去のロングインタビューに加え、清志郎の死を受けての仲井戸麗一(!)と坂本龍一への特別インタビューを併載したその本からは、ラジオで聞きなれた渋谷陽一の早口で甲高く軽薄な喋り声とともに、含羞と韜晦と偽悪が交錯した、忌野清志郎のしゃがれ声がはっきりと再生されたからだ。

どんなにレトリックを駆使しても、決して誌面から音楽が聞こえることはない。わかる人には参照可能なインデックスとなるバンド名の羅列も、そこに至る以前に教養主義の壁となって立ちはだかる。だいたい作品自体は語られようが無視されようが残り続けるが、作者はいつか存在そのものが消滅してしまうのだ。それならば、音楽を文字情報で記録しようとする徒労よりは、生きた人間の言葉をライフログとして残そうとすることのほうが、雑誌にできる役割として理に叶っているといえないだろうか。渋谷陽一と彼の雑誌は、清志郎の生前からこの時のために、その墓碑銘=エピタフを刻み続けてきたのだ。混沌こそ我が墓碑銘。21st Century Schizoid Magazineというかつての二つ名は伊達ではなかったのだ。渋谷陽一さん、あなたは正しかった。

考えてみるとロック雑誌、あるいはロック評論そのものが、死にゆくジャンルのための墓碑銘あるいは遺言を刻むためにあるのかもしれない。差し詰め『THE DIG』は墓荒しか。

閑話休題。ここに収められたインタビューでは、渋谷が前もって描いていたイメージと(そうでなければプロのインタビュアーではない)、そこに寄り添うようで柳のようにすり抜ける、清志郎の適当な強靱さが拮抗して、スリリングな読み物が楽しめる。R&B系の評論家なら、もっと「音楽的」なインタビューにもなったかもしれないが、そこからはこの「ヒューマン・ストーリー」の面白さは生まれないだろう。今、チャボのインタビューを取れる編集者が(これまでの関係性を築くうえでも貢献した図々しさも含め)渋谷陽一以外にいるだろうか。それだけでもこの本は貴重である。もっともこの「ヒューマン・ストーリー」の強度は、時に音楽そのものに向かおうとする心を縛りつけてしまいかねない。だからそろそろこの本を閉じて、RCサクセションのレコードに針を落とそう。

2009-06-09

帰ってきました。

6日の夕方の飛行機で。羽田に着いた途端に湿った空気がまとわりつく。人波をかきわけ、母親への理不尽な悪口をまくし立てる若い女の会話に気を取られて、乗り換え駅の渋谷を乗り過ごし、吉祥寺駅のホームでは頭のおかしな男が怒声を上げていた。ここが東京だと実感する。

回転寿司で夕食を済ませ、果てしなくバスを待ち続け、家に着いたのは21時。函館での18時に夕食、20時に入浴、22時には就寝という生活時間を早くも逸脱しつつあり。それでもこの日は23時に就寝。せっかくだからこの習慣を維持したいものだ。

翌7日。5時半に起床、シャワーを浴び、洗濯をし、食料を仕入れ、ネットを逍遥するうちに昼。ヤマザキのコッペパンとモンテールのシュークリームで昼食とし、刺身タンポポのせ作業を突貫で終わらせ、吉祥寺での待ち合わせに急ぐ。それにしても人大杉。北朝鮮よミサイルはどうした。などと心中で毒づきつつ無事に知人と会合、久々にオタ話に花を咲かせ。別れて渋谷に向かい、これも久々にカラオケ。アニソンとプログレ担当として、クリムゾン「21世紀の精神異常者」、四人囃子「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」を間奏まで歌うという謎の新機軸を披露、呆れられる。散々飲み絶叫して帰宅。翌朝声が嗄れていた。

と、こんな感じで東京生活に復帰。正直、実家での平穏かつ規則正しい日々の繰り返しに慣れすぎて、本当に東京に戻れるのだろうかと思い始めていたが、まあなんとかなるものだ。渋谷にも吉祥寺にもミサイルが落ちなくて良かった、と思い直す程度には、それなりに居場所もあるらしい。

写真は、1日に母の要望で出かけた、五稜郭公園の藤棚。

2009-05-28

錆びてないナイフ

ひとの並べた刺身を並べ替えてタンポポをのせ直す過酷な作業が一段落。その作業の合間に3度の食事を作り、早朝セールに出かけ、庭いじりを手伝うという日々がここしばらく続いていた。観光客のふりの市内巡りも、食べ歩きもまったくしていない。唯一の外食的なものは、近所の生協で売ってる3割引のパック寿司くらいのものだ。しかし、この一人前400円足らずの寿司が馬鹿にできないのだから恐るべし。函館よ、私にお前の本気の寿司力を見せてくれ!金はないけど!

駅前のデパート「棒二森屋」の改装前食品セールに父と出かける。同業老舗の丸井今井の経営危機が伝えられた昨今、この棒二デパートも親会社の意向で撤退するというニュースが流れ市民をやきもきさせたが、どうやら誤報であったらしくひと安心。それはそれとして、朝10時の開店前からかなりの数が列を作り、売り場が開くや人が殺到、1つ198円の雪印バターは瞬く間に売り切れた。だがしかし、そのバターを2箱、北海道のブランド米「おぼろづき」5kg1480円を2袋確保。海岸通りを自転車を連ねて帰路に。パチンコ屋と車屋と回転寿司が作る櫛の歯の間に、凪いだ海がストロボのように現れる。

まあ外出しなくても、庭に出るだけでそれなりに満足。ドアを開けると花の香りが漂う。とりわけコリンゴのそれが強い。



今はツツジが満開を迎え、そろそろ盛りを過ぎるあたり。
わが家の庭もこうしてみると野趣に富んでいるか。




トマトの苗の植え付けをしていたら、土を掘る父のシャベルがカチリと音を立てて、ずいぶん前になくしたバターナイフが発掘された。生ゴミに紛れて一緒に埋めてしまったらしい。ステンレスだから錆びてない。

2009-05-18

似てるようで似ていない

所用で外に出たついでに新雑誌『ゲッサン』(小学館)を立ち読み。とりあえず『あずまんが大王』新作だけ読んだのだが面白い。連載が終わらず今も続いていればこのような形になっていたのだろうか、本質はそのままに表現が洗練されていた。『よつばと!』休載もこの際我慢しよう。

ところで、『BSマンガ夜話』の『よつばと!』回で、いしかわじゅんが「『あずまんが大王』はよくある萌え4コマ(という表現はしていないが)から一歩も出ていず面白くない。『よつばと!』はそこから踏み出したことがエライ」という主旨の発言をしていて、他の出演者も特に反論しなかったと記憶している。

「萌え4コマ」というジャンルの嚆矢のひとつともいえる『あずまんが大王』に「萌え4コマだから悪い」と言わんばかりの評価はどうかと思うが、ある年代以上の読み手にとって「どれもこれも似たようなもの」に見えてしまうのは仕方ないことだろう。だが、『まんがタイムきらら』を1冊買って隅々まで読めば、それぞれの作品に(薄くとも)作者なりの個性があり、作品ごとに主観的な優劣を付けることもできるのがわかるはずだ。

同じ4コマフォーマット、同じような絵柄、同じようなキャラクター配置でありながら、それなりの個性を持った表現が生まれる。これは、同じようなメロディ、同じようなコード進行、同じようなリフを持つ、いくつもの名曲を送りだしてきたロックの歴史に通じるものがある。だが、ストーンズとザ・フーの区別のつかない人は、現実に山ほどいるだろう。様式性と抽象度が高くなるほど聴き分けは難しくなる。テクノやヒップホップならなおさらだ。

このように、ジャンル特性に則った表現の差異を味わい分けるには、受け手にリテラシーが要求される。それを持たなくてもまったく問題はないが、門外漢の自覚があるならば、己の目や耳の絶対性を疑ってみる謙虚さがあっていい。いしかわじゅんは「萌えリテラシー」を持たない人だろうが、それとは別に、様式より前衛を好む美意識の偏りもあるのではないか。例えば、中期ビートルズの果敢な前衛性を称揚するために、ロックンロールとR&Bの様式への愛を率直に表明した初期ビートルズの音楽を軽視してみせる態度にそれは似ている。一愛好家なら(もったいないと思うけど)それもいいが、批評として機能する言説なら問題がある。

私は『よつばと!』好きだけど、『あずまんが大王』もやっぱり好きだ。大阪!

2009-05-17

人工生命M1号

木造モルタルの古びた寄宿舎の、複雑に入り組んだ廊下を手繰り、割り当てらしき部屋に入る。するとなぜか女子2人と相部屋。しかも私は学生ではなく、現在のハゲヒゲ上下逆さ面の中年男のままだ。こちらを怪訝そうに眺めつつ「なにあれキモーい」とささやき交わす内容があからさまに伝わり赤面する。次第に女子の数が増え始め、ますますいたたまれずドアの外に出ると、部屋番号が目に入る。どうやら部屋を間違えたらしい。あわてて荷物を抱え飛び出すと、背中に侮蔑を込めた笑いが降りかかってきた。

——というところで目が覚めた。問題は、どうやらこれが淫夢だということだ。マゾ?

2009-05-15

Scatterbrain

今朝も早よから父と自転車並べスーパーの朝市へ。ほぼ快晴だが風は冷たく、手袋なしにはハンドルを握れない。開店前のパチンコ屋の前にたむろする若い衆を横目に、緑なす河川敷の脇を抜けてスーパーに到着。我々が列の一番前だったが、ドアが開くや背後のジジババがラッシュ、ガシガシ当りながら追い抜いていく。奴らフィジカルもメンタルも強いわー。とはいえ無事に醤油1.8リットル195円を2本と、甘口紅葉子(たらこ)100g195円を300gゲット。やりとげた達成感を胸に、ぬるみ始めた空気を掻き分けつつ帰宅。ついでに買ったかりんとうをかじりながら書いている。

そういや店内BGMが、ジェフ・ベック「スキャッターブレイン」全パートをシンセで作り直した不思議な代物だったが、例の高速ユニゾンのところとか作り手の情熱を感じて面白かった。この手のBGMでは80年代MTV時代の洋楽ものはわりと耳にするんだけど、70年代は珍しいか。昼間どころか朝からスーパーに並ぶような、洋楽ファンの中年客の需要を見越したのに違いない。なんというニッチ。ないか。


かの伝説的なウドーフェスでの演奏。SCATTERBRAINでこれが検索トップというのも凄い。

2009-05-14

CD消化中

消化中って何のノルマだよ。

YOU『南向き』(96年)
フェアチャイルド時代の戸田誠司流エレポップから遠く離れて、曲提供者と演奏陣の異様な豪華さと振り幅に驚いた。本人がプロデューサーに名を連ねており、当時の音楽に向かう意欲の高さを思わせる。YOUのロリータ声と、現在のイメージからはずいぶん遠い乙女な歌詞が、メンツから想像するより手堅い楽曲と編曲に似合う、とてもよく出来たポップアルバム。そのぶん存在感はバンド時代より薄れているようにも思う。キリングタイム勢をはじめとする多士済々の中、聴けばその人と一発でわかる鈴木茂のスライドには心躍らされた。そのギターの聴ける「悪い人」がベストトラックかもしれない(いや、どれも普通にいい曲なんですよ)。

いい人なんて嫌い 私を傷つけてもくれない
頭で言葉選ぶのは もうひとつ嘘をつくようなもの
いい人なんて嫌い 私との恋が終わる時
悪いのは僕なんて言うから 自意識過剰だって思う

なんて歌詞は今だと、肉食系女子からの草食系男子に対する叱咤に聞こえたりも。
全般に塩谷哲編曲の、ポップスに少しだけ異国の風を吹き込むようなセンスが光る。

殊能将之先生の

農業ブーム便乗映画企画が面白。(リンク先の下の方)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links0905.html
特に「監督が〜」のくだりで笑った。ていうかこのネタで新作を書けばいいのに。こうした顛末とは一切無関係に、石動戯作探偵の的外れな推理劇が展開するみたいな。犯人は田中義剛(ネタバレ)。

2009-05-13

購入メモ

漫画
こうの史代『この世界の片隅に』下巻(双葉社)
全3巻まとめて読み返したいのに手元にないのがもどかしい。人が生きる日々の営みは「その時」を過ぎても、失われたものとともに緩やかに続いていくことを描いて、井上光晴『明日』を超えたのではないかと思う。

桜井のりお『みつどもえ』7巻(秋田書店)
とらのあなの特典イラストカードかなり欲しいんですけど! 東京に戻ったら買い直そうかなー。しかし吉祥寺店は知らぬ間に潰れていたのだった。それにしてもチャンピオンコミックスの品質は紙といい印刷といいカラーページといい素晴らしい。手書き文字の「ママにボクのブリーフをはかせてみました」もはっきり読み取れるよ! マーベラス!

CD
YOU『南向き』(96年)
ショコラ『ハムスター』(99年)
リップスライム『TOKYO CLASSIC』(02年)
THE BRAND NEW HEAVIES/SAME ('90)
FUGEES/BLUNTED ON REALITY ('94)
ARRESTED DEVELOPMENT/THE HEROES OF THE HARVEST ('01)
NIKKA COSTA/CAN'TNEVERDIDNOTHIN' ('05) ※CCCD

以上、文教堂のレンタル流れワゴンで各100円。まだ聴いてない。

2009-05-12

不良少年のキリスト

忌野清志郎の告別式で、遺族の前に故人のギターを掲げて立った仲井戸麗一に対して、取材カメラマンが「(遺族が)見えないよ」と注意し、チャボがしょんぼりとギターを下ろしたというニュースが、ネット上で話題となり怒りを買っている。

http://www.hamatyuu.no-ip.com/up_loader/img/up833.jpg

これに対しては、清志郎に近かった記者が、現場にいた自分には聞こえなかったし、悲しみに沈むチャボの耳には届かなかっただろう、と、ファンの加熱を牽制するような証言を行っている。

http://blue19812nd.blog50.fc2.com/blog-entry-786.html
(rickdomで知った。http://www.rickdom.com/archives/002131.html

この一件が事実かどうかは、あまり重要ではないだろう(東スポの記事以外に情報源が見当たらないことだし)。ただし、いわゆる「マスゴミ」に対する、ネットでありがちな吹き上がりというのとも性質は違う。

みんな、この失礼なカメラマンに存在していてほしいのだ。チャボに、心無い言葉に傷ついてほしいのだ。そして、彼の傷と屈辱を、自分のものとしたいのだ。なぜなら、そのような傷と屈辱を受け続けることが、「ロック」の存在価値であるからだ。

20年も昔に読んだ、あるパンク系のミュージシャンのインタビューで、今でも印象深い言葉がある。

「本当に人を傷つけるパワーのあるヤツは、ロックなんて聴かない。赤いスポーツカーに乗ってサザンとかユーミンとか聴いてますよ」

「サザンとかユーミン」はロックではないのか、批判されるべきかはここでは問わない。ここでロックというのは、赤いスポーツカーに乗ってサザンとかユーミンとか聴く奴らに、蔑まれ傷つけられるために存在する、負性の表現なのだ。そしてその負性を自らのものとして引き受け、生きるためのエネルギーに反転させるものも、またロックなのだ。そこにはただの怒りや自虐とは違う、共感に基づいた励ましがある。

mixiの清志郎コミュに、清志郎の死に寄せたミュージシャンや著名人の追悼コメントをまとめるトピックが立っている。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=42253243&comm_id=7765

私はこれを編集者の渡辺祐さんのブログで知った。

http://d.hatena.ne.jp/dothemonkey/20090510

この紹介エントリ自体がネット時代の優れた編集論として成立している。個人的な思いとしては、見逃してくれよと思う。言葉は吐き出された瞬間から、誰かに伝わり影響を与えることを夢見るものだろう。対価を得ることはその次だ。そして一度野に放たれた言葉が広がることを押しとどめることはできない。少なくともネット上で発表されたものならば、リンクと発言者の同一性が保たれているならば、広く共有されてこそ本望というものだ(リブログの思想はそういうものだろう)。商業媒体に載った発言に対しては、書籍化でもされるならともかく、それこそ見逃してくれよとしか言えない。

閑話休題。
この追悼まとめトピックに寄せられた言葉の多くは、清志郎と同時代に生きたミュージシャンたちによるものだ。そこにはオールドロッカーもパンクスもメタルもビジュアル系もBボーイもわけへだてなく存在している。いかれた格好の、世間からはみだした人間たちこそ、忌野清志郎に最も影響され、彼を必要とした者たちだ。

細野晴臣や大瀧詠一は、さまざまな音楽体験の入り口となりうる伝統を背負っているから素晴らしい、という、音楽ファンにありがちな言説がある。その伝で言うと忌野清志郎は、サザンソウルの伝統を日本語のヴォーカリストとして血肉化したから素晴らしい、という評価の在り方になるだろう。そうかもしれないが、それだけじゃない。むしろそれ以前に「音楽ファン」が一段下に置くような(そして残念ながら、私もしょせんその類いだろう)たくさんのバンドマンやラッパーたちが憧れ、生き方の範とした事実が重要なのだ。忌野清志郎の音楽は彼らのものだ。そして、誰のものであってもいいのだろう。「お前のものじゃない」なんて言わなければ。だから私も、清志郎のファンの末席にいさせてもらいたい。

告別式の日、カメラマンの罵声を浴びたというチャボのストーリー(そう、「ストーリー」)は、あまりにロック的だ。大切な場所で傷つけられ辱められたチャボは、あの時、彼の後ろにいる無数のはみ出し者や与太者たちに代わって、傷つけられ辱められたのだ。清志郎のぶんまで十字架を背負わされたチャボの重さは計り知れない。それでもいつか、この新しいブルースが仲井戸麗一の体を溢れ出して、その声とギターを震わせる日が来るだろう。

2009-05-11

けいおん!5、6話

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/

北海道では放映が2週遅れなのでゴニョゴニョ。

5話。ピロウズの人が覚醒してアホの子がデス声にチェンジする話。「萌え萌えキュン」の破壊力が(悪い意味で)強力だったので相当萎えてたんだけど、ちょっと回復。許せるベタと許せないベタの境界って何だろうと考えたら、そのベタが前提とする共通理解がどんなコミュニティに由来するかによるのかなあと思った。当たり前のこと言ってますか私。あと眉毛の人の属性が『みつどもえ』の眉毛の人とかぶってた。愛の形は人それぞれだよね!

6話。学園祭で黒髪ストレートがステージフライトで縞パンでなく縞ゴハンな話。「ライブアライブ」をもう一度はやれない、というのはわかった(あれヤマカンだしな)。演奏が上手すぎるのは、物語上の整合性よりも商品としての完成度を優先せざるを得なかったのかしら。好意的に考えれば、あのPV的なイメージ映像は「これは彼女たちの脳内で鳴っている理想の音で、実際にはもっとしょぼいんですよー」というエクスキューズかもしれない。で、その幻想に唯のデス声という現実が介入してくるという。にしても、1話と2話で見せた「ベタを超える新しい何か」の水準をまだ期待していてもいいのだろうか。そして、ギターを持った唯がおもむろに椅子に座るや、「うん・たん、うん・たん」と呟きつつメカニカルなシーケンスを猛スピードで弾き倒し、「変拍子に聞こえるけど、ただの4拍子なんですよ〜」とかへろへろ声で答える場面は来るのだろうか(来ねえよ)。

2009-05-10

刺身にタンポポを乗せる作業が一段落したのでそろそろ更新。

2009-05-03

自転車

少し離れたスーパーの朝市に、1人1本までの塩鮭を2本ゲットすべく、父と2人自転車を連ねて出かける。市電やバスがそれなりに充実しているものの、中心の繁華街が衰退し、郊外のショッピングモールでまとめ買いというスタイルが主流となりつつある函館市で、車なしでは不自由なのは多くの地方都市と変わらない。生活保護家庭でも車を2台持つというご近所の中で、運転免許を持つものがいないわが家では自転車が大活躍だ。戦時中は戦車に乗っていたというのになあ、うちの父。

そんなわけでいくぶんのカロリーを消費しつつ数分後には到着。いつも開始15分前には店の前に結構な長さの列ができているのだが、連休なので長さが倍以上になっている。開始時刻になって入ってみると、目当ての鮭がどこにもない。店員に訊くと、別店舗ではないかと言う。改めて持参していたチラシに目をやると、なんと別系列のスーパーだった。一番近くの店までさらに自転車で移動するも、肝心の鮭がどうも大きさがよろしくないということで、何も買わずに帰宅。朝からなかなか健康的なことだ。自転車はいいね。

あとは、終日YouTubeとともに過ごす。かの人も自転車が好きだった。

2009-05-02

五稜郭の桜


昼に五稜郭公園に家族で花見に出かける。函館の春は東京よりひと月遅い。桜も、足下の草花も今が盛り。堀にボートと並んで浮かぶのも、カモではなくカモメなのが海の街らしい。さすがに連休なので人出も多いが、堀と堤に挟まれた窪地のような場所に風呂敷を広げ、朝から姉が作ったおにぎりと唐揚げ、卵焼きを食べる。北海道の桜にはつきもののジンギスカンの匂いや歌声もここまでは届かない。陽光と鳥の声ばかりが静かに降り注ぐ。


公園の中央では、現在かつての箱館奉行所本陣の復元工事がおこなわれている。明治4年(1871年)に解体され、大正3年(1914)に公園として開放されて以来、奉行所の跡地は広いグラウンドになっていた。近くの高校に通っていた姉は、体育の授業をここで受けたという。もはや奉行所をその目で見た人間は存在しない。松林に縁取られた、だだっ広いグラウンドの光景こそが、函館市民にとっての原風景なのだ。

いつか、公園のグラウンドで野球やサッカーをした人間のすべてが、この世を去る日が来るのだろう。もうすぐ、奉行所のある五稜郭を当たり前の景色として気にも留めない世代が、再び大多数となるだろう。あらゆる人も風景も、わずか数十年で終わる人の一生の前を、一瞬で通り過ぎていく。あらゆる時間を同時に生きるトラルファマドール人なら、同じ場所に同じ城郭がストロボのように消えては立ち現れる姿を見ることができるだろうか。

公園を去り際に、桜の下でジンギスカンを楽しむ大勢の人々を目にした。年々歳々来ては去る、桜と人とジンギスカン。これもまた、函館市民の、あるいは道民の原風景なのだろう。まあうちはジンギスカン嫌いなんで関係ないんですけどね。

2009-05-01

マタンゴ


実家の庭にこういうモノが自生しているのだけれど、これはアミガサタケでいいのだろうか。去年も食っていいものかどうかさんざん逡巡して、結局そのままにしてしまった。今年こそパスタの具にしてくれようとか思うのだが、さすがに命まで賭ける気はない。どなたか「庭からもぎって食ったことあるよ!」という食の勇者がおられましたらご助言を。

2009-04-30

食事メモ

朝5時半に起床。晴天。朝食(母作)は焼鮭、蕪の葉とベーコンの炒め、蕪と胡瓜の浅漬け、夕べの残りの鶏と野菜の煮物、わかめとじゃがいもと油揚げの味噌汁、ご飯。
昼食(私作)はたらこスパゲティとサラダ。皮を開いてこそげ取ったたらことバターをボウルに取る。割いたブナシメジ、大蒜スライス、刻み葱をオリーヴ油で炒める。茹で途中のパスタとゆで汁をフライパンに投入、胡椒・酒を加え加熱。煮詰まったらボウルに写してたらこ・バターと和える。海苔を振って完成。好評を得る。父の栗の木の枝切りを手伝う。地上2mを超える樹上に足場を組み、敷地外に伸びる太い枝を鋸で切り落とす老人畏るべし。
夕食は母と、帰省した長姉が作成。まぐろ刺身、糠ニシン、焼茄子、蕗と油揚げの煮物、とろろ、蕪の浅漬け、キャベツと油揚げの味噌汁、ご飯。美味いー量が多いー。
就寝はたぶん10時頃。おおむねこんな暮らしが続きます。限りなく省略可だがあえて冗長に記述する方向性で。
『東のエデン』は放送してないので『けいおん!』録画して寝よう。

2009-04-28

函館にて

現在帰省中。朝一の飛行機だったので、駅までの足となるバスが出ていない。なので、前夜から漫画喫茶にて始発まで待機(全裸ではない)。おかげで一日中眠い眠い。

さて、帰省といっても1ヶ月にも及ぶと、書くことも書く必要もなくなって更新が長く途切れるのだけれど、今回はその轍を踏まぬよう、どうでもいいことでもなるべく書くようにしたい(いつもと変わらない?)。函館は快晴だけど寒い。今夜のおかずはホタテの掻き揚げ。眠い。以上。

2009-04-26

今夜(25日)のタマフル

http://www.tbsradio.jp/utamaru/index.html

『キラ☆キラ』でも宇多丸と共演している小島慶子アナを招き、彼女がギャラクシー賞を受賞した『アクセス』のテイで「『おっぱいバレー』で綾瀬はるかはおっぱいを見せるべきであったか否か」について電話討論するという企画。まあそれ自体も、物語上の必然性や女優としての展開などを論点にしてなかなか面白かったのだけれど(小島アナの、要領を得ない素人の電話の内容を、瞬時に身も蓋もなく要約してみせる切れ味がさすがだ)町山智浩が加わってからの考察が見事。

「カタルシスとしておっぱいが必要」論に対し「おっぱいは所詮マクガフィン」と切り返してみせたのには唸る(本当にマクガフィンだったらひどいよなあ)。映画にかろうじて残る美点を拾いながら、脚本の不備を補ううちに「かくあるべき幻の『おっぱいバレー』」像が立ち上がってくる過程は圧巻だ。

あんまり面白かったので、『田村ゆかりのいたずら黒うさぎ』を飛ばしてそのまま「しまおまほ」コーナーまで聴いてしまったよ。初対面の小島アナとしまおまほの間に飛び交う女の駆け引きを看破して、ここでも町山が鋭さを見せる。それにしても、しまおまほの醸し出す文化系女子感というかいわゆるサークラ感というかが味わい深い(小島アナの参戦によって前景化されたのかもしれないが)。

2009-04-25

今夜のアニメ(24日深夜)

戦国BASARA

http://www.sengokubasara.tv/

いや面白いわ。かつて『MUSASHI - GUN道 - 』が意図しながら不幸な事情により達成できなかった面白さと、意図せずして不幸な事情により達成しえた面白さの双方を、(おそらく)原作ゲームのコンセプトに忠実に、Production I.Gの持てる技術と物量とによって実現してしまった。しかも、伊達政宗の愛馬※にバイクのハンドルとマフラーが付いているような世界観でありながら、日本人の共有する戦国観や人物像をぎりぎり保っているあたり、作り手のさじ加減というよりも歴史物というジャンルの揺るぎない強度を感じさせる。大地丙太郎監督アズラッタ様が同時に絶賛する作品というだけでも価値がある。明智光秀の変態ぶりもさることながら、本多忠勝のロボっぷりに爆笑。

バスカッシュはもういいかな……。

※海外の反応としてはこっちのほうが面白かった。
http://goyaku.seesaa.net/article/117369346.html

2009-04-24

分け入っても分け入ってもチョコの山(が見つからない)

ヤマザキがランチパックで余ったパンの耳を再利用すべく開発したという(かどうかは知らない)「チョコの山」を探しているのだが、近所のスーパーにもドラッグストアにもコンビニにもおかしのまちおかにもないのよねー。デイリーヤマザキじゃないとダメなのか。きっとロイズのポテトチップチョコよか美味いと思う。なんとなく。

昼食は上石神井の定食屋でハヤシライス。肉もしっかりしてて美味かったけどぬるい。あとハヤシライスに納豆はいらないとおもいます。
夕食はナポリタン。ウィンナー輪切り・玉葱スライス・刻みピーマン・人参みじん切り・割いたぶなしめじ・茄子輪切り・大蒜みじん切りをオリーヴ油・塩・胡椒で炒め、トマト水煮・水・ケチャップ・バジル加え適当に加熱。茹で途中のパスタと茹で汁を加え、適当に煮詰めて完成。この調子で帰省前に冷蔵庫を空にしたい所存。

今夜のアニメ(23日深夜)

木曜日にチャンピオン(というか「みつどもえ」)と『東のエデン』と『けいおん!』があるおかげで1週間が過ぎるのが早い早い。

東のエデン 3話

http://juiz.jp/blog/

あの悪徳刑事は『テクノライズ』の吉井さん以来(いつの話だよ)のいい悪役になれるかなー、と思ってたらあっさり退場。マジで「欲望のバトルロワイヤル」をやる気なのか……宇野某の本でも読んだのか。こういう鍵カッコ付きの「現代性」は好きじゃないなーと思いつつ、鍵カッコに括って「(普遍的な)現代」を仮構してみせないことには、空気ごと棲み分けている今の客には届かないのかとも思う。

けいおん! 4話

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/

合宿というか水着回。脚本と演出が異様に男臭い。こういうベタな欲望が露になりやすいシチュエーションこそ、女性監督・脚本ならではの抑制が欲しかった。これまでの回の作法だと、みんなで料理を作るとか食器を洗うとかの描写が絶対入りそうな気がするんだけど。あと唯がギターのフレーズを一度聴いただけで耳コピしてみせるのは、あまりにもチートすぎやしないかと。ていうか実は澪より先にテープを発見してて、適当に練習してたとか——といった描写も特になかったよなあ。4コマ原作だから可能な省略と、描写力のポテンシャルがもたらすリアリティの期待値の間で、微妙な齟齬が生まれているようにも見える、とかあんまり理詰めで観ないほうがいいのかこのアニメ。

2009-04-23

購入メモ

志村貴子『青い花』4巻(太田出版)
諸星大二郎『闇の鴬』(講談社)
最近、新刊情報とか全然疎いので、書店の平台を見てびっくりした(『青い花』アニメ化はさすがに知ってたけど)。ライヴ情報とかもほぼ全スルー。ライダーズのライヴなんてあったのすら知らなかったくらい。それにしても万城目ふみさんはますます危なっかしくてすばらしい。そして大変なことに。諸星新刊はこれからじっくり読みます。

チャンピオン40周年の

オリジナル作者に往年の人気作の新作を描かせる企画って、今のジャンプに『きまぐれオレンジロード』が載るようなもんだよなあ……とか思ってたら本当に『オレンジロード』が復活してたんで驚いた(もっとも新作ではないし、ジャンプ本誌ではなくてスーパージャンプだけど)。で、今週のチャンピオンは永井豪『キューティーハニーVSあばしり一家』。両作のみならず『イヤハヤ南友』保健テストの一幕すら挟まれるサービスぶり、すがすがしいまでの無内容さで大変すばらしかった。これと続けて読むと『ギャンブルフィッシュ』がまったく同系列の作品に見えてくるから不思議だ(保健テスト的な意味で)。

社会と個人の接点を模索する

もし草なぎメンバーの行動が呼び水となって世間に全裸ブームが到来したとしても、街角や職場や学校で大らかに全裸を謳歌するおしゃれな人々を横目に、さすがに全裸では恥ずかしいと尻込みする人も少なくないにちがいない。

そんなシャイな人は、控えめに社会の窓を開けて、最小限に世間の風に己が身を晒すといいだろう。服装もカジュアルからフォーマルまで時と場を問わず、寒い日に無理をして風邪を引く心配もない。問題は圧倒的に露出度が少ないにもかかわらず、犯罪度が飛躍的に高まるような気がすることだ。肌色の量ではなく、開陳する部位が問題なのだろうか。

だとすれば、全裸になったうえで、問題の部分に靴下を履かせてみてはどうだろう。これならば解放感を味わいつつ、一定のプライバシーを保つことができ、公共空間にもふさわしいスタイルと言えるのではないか。靴下選びのセンスで差をつけちゃおう! おしゃれ!

……さて、風呂にでも入ってくるか。全裸で。

2009-04-20

バイキング(NOT冠二郎)

吉祥寺三浦屋地下のタイ料理店にてランチバイキング。チャーハンを中心に1セット、2種のカレーを中心にもう1セット、〆に焼きそば食って990円とは安い。どうせ食える量もたかが知れているのだが、お代わりの回数を重ねることによって満足感を上げる手法は、回転寿司やわんこそばに通じるものがある。あとサムラートのナンとライスのお代わりとかね。それにしても20数年(!)この界隈に暮らしながら、一向に消費上の生活範囲が広がらない。欲望も分相応で結構なことだ。

漫画喫茶で小林立『咲 - Saki -』(スクウェア・エニックス)の既刊を読もうと思ったら置いてないので、近藤るるる『しはるじぇねしす』(メディアファクトリー)1〜5巻を読む。神と悪魔の転生JC百合マゲドン漫画。最近こんなのばっかり読んでるなあ。

2009-04-18

今夜のアニメ(17日深夜)

バスカッシュ!

http://basquash.com/

「じゃ2人は何目当てで(アニメを)見てるんですか?」
「………ものすごく かいつまんで言うと……」
「テロップ?」
(山田穣『がらくたストリート』1巻)


……的な意味では要注目作品なのだが、ひとりの個性的なデザイナーが支配する世界観とか、いびつなデザインのロボバトルとかエキセントリックな人物配置とか、ちょっと『ガドガード』を思い出した——というのは不吉な連想なのかしら。とりあえず声優アニメとして観続けようか。ますみんかわいいよますみん(マジで)。ところで河森正治としてはNIKEのデザイン協力は容認するところなのか(アルジュナ的な意味で)。

2009-04-17

購入メモ

CD
OTIS REDDING/THE VERY BEST OF OTIS REDDING ('92)
ライノ編のベスト盤。1枚も持ってないのはどうだろうと思って。
JAMES GANG/FUNK #49 ('97)
70年代にジョー・ウォルシュやトミー・ボーリンが在籍したバンドのベスト盤。ブルーズとカントリーに根差す正統派のアメリカンロック。ファンキーで粘りのあるリフが快感。
KURTIS BLOW/THE BEST OF KURTIS BLOW ('94)
"FUNK ESSENTIALS"というシリーズの1枚。最初期のヒップホップ。トラックはサンプリングでも打ち込みでもなく生演奏!
JOSS STONE/INTRODUCING...JOSS STONE ('07)
プロデュースが元トニ・トニ・トニのラファエル・サディーク(この人好き)。ドラマーのクエストラヴが「サディークは70年代に録音されてもおかしくないような音にしてしまう」と批判的なニュアンスで語っていたけれど、70年代の完全再現に留まらない、充分に現代的な解釈のR&Bになっている、と思う。
※以上ブックオフにて各500円

漫画
大沖『はるみねーしょん』1巻(芳文社)
ブックオフにてYMO関連物件として(嘘)350円で購入。登場人物はほぼ3人の女子高生(うち1人は宇宙人)に、舞台もほぼ教室内に限られ、毎回どうでもいいズレた会話のみに終始する4コマギャグ漫画。「萌え記号化」と呼ぶには極端に簡略化された描線といい、最小限に留められた意味のずらし方(ボケ)と読者へのズレの提示(突っ込み)といい、この徹底したミニマリズムは、伊達に登場人物の名をYMOから採っていないぞと思わせる。『けいおん!』がP-MODELから名を採っているのに全く内容に関係ないのとは対照的。いや、『はるみ』だってほとんど関係ないんだけど(どっちだ)。

2009-04-15

購入メモ

CD
WAR/THE BEST OF WAR...AND MORE ('87)
THE HIGH LLAMAS/COLD AND BOUNCY ('98)
漫画
乙ひより『クローバー』(一迅社)

以上、吉祥寺ブックオフにて各500円。なぜかAmazonから百合漫画ばかり推薦される今日この頃。そんなに百合一色でもないのになー。

ブックスルーエでサンレコの細野歌謡箱特集、ユリイカ増刊の坂本龍一特集を立ち読みするも購入に至らず。定額給付金の使い途はやはり細野箱か(ようやく申請用紙が届いたことだし)。レアトラックスの類いはないのだが、自分でこれを編む労力を考えたら買ってもいいかという気にさせられる。

2009-04-13

今夜のアニメ(12日深夜)

夏のあらし!

http://www.starchild.co.jp/special/natsunoarashi/

ここまで原作に忠実だと、いかに新房監督の表現主義演出をもってしても、オリジナル部分であるCパートと次回予告のお遊びしか見所がないのが辛い。漫画喫茶で既刊全部読むんじゃなかった……。

咲 -Saki-

http://www.saki-anime.com/

原作未読の百合風味JK麻雀アニメ。観終えて記憶が巨乳ピンク一色に染められ。と書くと微妙に麻雀風味(……)。あと咲の無駄にエロい下半身描写と、釘宮声の偽さくら。さすがGONZO、注力箇所をわきまえているな! パンツじゃないどころかはいてない! 試聴継続。麻雀のことはよくわからないじょ。

2009-04-11

東のエデン

http://juiz.jp/blog/

唐突に「世界の中心に触れたくなって」ホワイトハウスの庭の池に、運試しよろしくコインを投げる(しかもその行為が不穏と見做されるなどまったく思わない)主人公の女子大生の思慮のなさに、まずびっくりする。おそらくそれが製作者の想定する、まさに「ノイタミナ」枠のメイン視聴者層であろう「リアルな若い女」の姿であり、その「等身大のリアル」をIG流の「リアルな政治劇」の渦中に放り込むために、羽海野チカによるキャラクターデザインが用意されたのだろう。
一方、記憶を奪われ全裸で出現した青年には、誰もが「ターミネーター」や「ジェイソン・ボーン」を連想するのだが、その突っ込みも織り込み済みとばかりに、登場人物自身によって元ネタが明かされる。ここには「スィーツ(笑)」と「すれっからしの観客」双方への悪意がある。そして、お前たちの誰もが当事者であることを免れないのだと示すように、東京にミサイルが落とされる。
こういうあざとさや、「お前たちに世界の真実を見せてやる」ふうの啓蒙臭が鼻に付かないでもないが、それでも「他者としての観客」を意識した悪意(あるいはみくびり)において、今期のアニメで最も挑発的な作品であることはまちがいない。

2009-04-10

けいおん!

http://www.tbs.co.jp/anime/k-on/

唐突だが、かつての「ニューウェーヴ」にあった「物語性の否定=日常の価値の再発見」という側面を、いがらしみきお『ぼのぼの』を介して受け継いだのが「萌え4コマ」ではないか——というのが私の最近の仮説なのだが無理矢理か。いや、「ニューウェーヴ」→「ロリコンブーム」→「エロ同人/エロ漫画」→「萌え4コマ」というオタ文化の血脈を辿ると、あながち無理筋とも言えないのではないかと思うのだが。

で、私は京アニが選び取る「物語」というものにあまり興味がない。むしろ「非物語」を題材にしたときに(唯一かつ最大の)アドバンテージである「過剰な描写力」がものをいう。そんなわけで『けいおん!』という萌え4コマを京アニの技術力でアニメ化するということは、案外優れた「日常アニメ」を生み出す可能性のある好企画でないかと思うのだ。

ただし、萌え4コマの「空虚」に向かいあう姿勢において『らき☆すた』より後退した感は否めない。京アニの技術力をもってすれば「空虚な日常」の空虚さそのものを映像化できるのではないか、というのが、小ネタで客を釣りつつ山本寛が目論んだことに違いないのだ。『けいおん!』では吉田玲子という「プロの脚本家」を得て、原作の空しさを補完し、30分のエピソードを持たせられるだけの内実を与えてしまっている。

http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090410/1239379848

いや、まっとうな作り手ならそうするに決まっているのだが。
とりあえず『けいおん!』は京アニ版『ひだまりスケッチ』ではなく、「最良の舛成孝二アニメ」に近いものになってくれることを期待しつつ観続けたい。
あと、誰かアホの子に「ギターはカスタネットとおんなじ!」とか教えてやってはくれまいか。バンドでグルーヴを作ることの楽しさを知るきっかけになるだろうし、何より「うん・たん!」が1度きりで終わってしまうのは惜しい。

2009-04-07

刺身にタンポポを載せる作業が一段落したので数日さかのぼって更新。
作業に没頭するうちにイベントやライヴや人工衛星が知らずに頭上を通り過ぎていた。

2009-04-04

チャイナタウン

武蔵境に「餃子の王将」ができたので、昼食に定番らしい餃子定食を注文。実は王将にはじめて入ったのだが、通常の2倍の量の餃子に悶絶した(味は値段相応)。
それにしても、もともと「ぎょうざの満洲」「日高屋」があるところに王将が加わると、200メートル足らずの商店街に安中華が3軒ひしめくことになる。なんというデフレ中華街。
加えてそこには松屋・Sガスト・大戸屋キッチン・SUBWAY・モスバーガーまで存在しているのだ。本当にこれでやっていけるのか。亜細亜大の学生が堆肥にするほど多いせいか。さくら水産もあるしな。
一方でイトーヨーカ堂が世界のすべてだった南口では、JRの高架化にともなう再開発で成城石井が出店したりと革命の時を迎えつつある。まさに逆南北問題の発生と言えよう。
武蔵境は我々をどこに連れていくのか。とりあえず王将より日高屋のほうがお手頃です。

2009-04-03

キラ☆キラ1週目を聞き終えて

TBS『ストリーム』の後継帯番組『小島慶子 キラ☆キラ』の最初の1週間が過ぎた。

前番組に比べると、サブカル/政治色は後退した、というより各曜日担当のパーソナリティ次第だが、AMトークラジオとしてより馴染みやすくなったという印象は総じて変わらない。企画枠や外ロケを撤廃してコストダウンを計る一方で、リスナーにお題を投げて番組に参加させることで敷居を下げるという意図は、まず成功しているのではないだろうか。そのリスナー投稿のレベルも妙に高く、いわゆるハガキ職人の新たな戦場になってもおかしくない。平日昼間に(……)。

さて、『ストリーム』のヘビーリスナーからは企画の貧困や内容の他愛なさに対する非難も多いのだろうが、もともと『ストリーム』がラジオ番組としては特異なのであって、テーマに沿って識者の解説コメントを一方的に拝聴するというのは、どちらかといえば活字メディアに接するスタンスに近い(ブロガー参加企画も、AMラジオ本来の双方向性を取り戻す試みなのだろう。成否はさておき)。そのリスナーもネットを含む活字メディアからスライドしたような、本来のAM聴取者とは違う層ではなかったか。だとすればその批判は「『どれみ』の達成を『プリキュア』が台なしにした」という類いの主張に似て、正論でもどこかお門違いに映らなくもない。

実際、小島慶子という希代のS女王委員長キャラを得て(どうもエロ話に鉱脈を見出した気配。善哉)、曜日を追うごとに快調さは増していったように思う。とりわけ宇多丸のトークが昼ラジオで2時間以上聞けるというのは快挙だ(どうでもいいけど、ノーナリーヴスとスクービードゥを混同していたことに気がついた。面白いなー西寺氏)。この番組もAM昼ラジオとして現状でも充分健闘しているといえる。とはいえ番組がもっとも躍動する瞬間が、前路線を継承した金曜日の小島・水道橋博士と町山智浩の絡み合いであることは否定しがたいのだが。

とりあえず結論としては
「月曜のビビる大木をえのきどいちろうとかいとうせいこうとかに替えたらいいんじゃね?」
いや、実はこの大木の人選が番組の要だったりするのかも知れないが……。

ところで「キラ☆キラってどっかで聞いたような……」と思ったらエロゲだった!

2009-04-02

購入メモ

以下ブックオフにて各250円。
NORAH JONES/COME AWAY WITH ME ('02)
V.A/THE SLIDE GUITAR - BOTTLES,KNIVES & STEEL ('90)
※戦前を中心にしたブルースのコンピ
橋本一子『ロマンティックな雨』(92年)
ブレッド&バター『奇跡のヴィーナス』(92年)※ベスト盤
V.A『チャイルディッシュ スープ 2000』(00年)
※ギューンカセットのサンプラー
テイ・トウワ『フューチャー・リスニング!』(94年)

2009-04-01

おまんが

エイプリルフールの小粋な冗談でお腹いっぱいだけど、のりお先生がおまんがを描いてくれたので今日はいい日だ。

2009-03-31

メロスのように

キラ☆キラ:火曜日。
昨日より面白い気がするのは、やっぱりディレクションなしに丸投げしたパートナー次第なのね。ただしコウタリンの力量よりも、そのM属性おやじキャラと、小島慶子の心の奥で人を見下した委員長キャラとの噛み合わせが良いのだろう。いやー小島アナたまらんね、あの人を人とも思わぬ適当なあしらい方! しかも「温泉で猿に欲情された/微妙に種が近い/しかも全裸/危険!」だの、「(『走れメロス』のような友情話を受けて)メロスって最後全裸なんですよね……」だの、「恐怖も快感も人と分かち合ってこそ!」だの「子供2人生んでますから」だの、なにそのマニアックなエロトーク。そういう狙いなのか。私を狙い撃ちか。くそう。
さて名残惜しいが飯食いに。

2009-03-30

(非)セレクトショップの(無)思想

上石神井魚角にて、新メニュー「まぐろかま肉の黒胡椒焼き定食」割引チラシ780円の夕食。これは当たり。骨付き肉は概ねなんでも美味い。そういや牛角食堂なくなってたなあ。たまに近くのアニメ製作会社の人が飯食いに来てたみたいで、ボンズの馬鹿制作による例のスタッフ評を肴にしてるのを、聞くともなしに聞いたりした。内容は忘れた。

時間が遅いのでドトールは通り過ぎ、ブックオフに寄り猟盤。
ブックオフのCD棚には「ジャンル分け」というものがない。実際には「邦楽」「洋楽」「懐メロ」「キッズ」「ジャズ」「クラシック」のような区分はあるが、これは分類というよりも対象年齢別の陳列というべきものだろう。客の年齢層と価格がブックオフにとって唯一の基準であり、そこには店側のリコメンドも、熱い思いを綴る店頭POPもない。一部の「良い音楽」を浮上させるために「悪い音楽」の措定と排除を要求する、選別の思想がここには見られない。無論「売れるもの」と「売れないもの」の区別はあるが、それを決めるのはPOSシステムと世間智であり、間違っても個人の美意識ではあるまい。
店内のBGMも、名も知らぬ数年前のJ-ヒップホップやR&Bの次に、ブリーフ&トランクスが流れるカオス状態。仮に意欲的な店員がDJ気取りで恰好良い選曲をしたりした日には、確実に売り上げが落ちるだろう。別に聴きたくもない音楽を(文字通り)無差別に、強制的に聴かされる体験は貴重なものなのだ。Jポップの新曲を最初に聴くのは松屋の店内だ(以前は銭湯でもよく聴いた)。そのくせそのほとんどは印象を刻むことなく通り過ぎていく。「家具のような音楽」の完璧な実践がここにある。ブックオフと松屋、昼間のAM放送は、いま私が最も安らぎを感じるサウンドスケープだ。

そんなふうに音が左右の耳の穴を通り抜ける間に、以下各500円にて購入。

V.A./SUPER HITS OF THE '70S - HAVE A NICE DAY, VOL.2 ('90)
※ライノレコードによる70年代ヒット曲選集の70年度編
FLEETWOOD MAC/KILN HOUSE ('70)
CAFÉ CUBANA/CIGAAS,CARS & CUBAN BARS ('02)
※キューバ音楽コンピ
SYSTEM7/GOLDEN SECTION ('97)
ANDY PARTRIDGE/FUZZY WARBLES 2 ('02)
村田陽一ソリッド・ブラス『DECADE』(01年)

昼食

ミートソースのスパゲティ(茄子入り)、豆腐と卵のスープ。椎茸を薄切りにし生姜輪切りとともに酒と醤油で煎り付け、水を加え加熱、平たく切った絹豆腐・細切り葱・白だし・中華スープ・胡椒を適量加え、火が通ったら火を弱め溶き卵流す。水溶き片栗粉で綴じて完成。市販調味料の嵐だが簡単なのでお薦め。

小島慶子 キラ☆キラ

http://www.tbsradio.jp/kirakira/index.html
終了した『ストリーム』の後継番組。前番組のサブカル/政治色は後退したように見えるが、それも各曜日のパートナーやコラムニスト次第なのだろう。それにしても出演者の顔触れから「路線は維持しつつ局アナ起用によるコストダウン」程度に考えていたが、蓋を開けてみると「普通のAMトークラジオ」としてあまりにも昼の時間帯にはまっている。逆に『ストリーム』がいかに浮いていたかを認識させられた。
個人的に小島アナは女子アナ陵辱AVの主役に起用したい程度に好感度が高いので、この番組も楽しみに聴くでしょう。

2009-03-27

買い物メモ

森島明子『楽園の条件』(一迅社)
平尾アウリ『まんがの作り方』(徳間書店)
山田穣『がらくたストリート』1巻(幻冬舎)
森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫)
以上ブックオフにて各350円。
『夜は短し』は以下の2エントリが興味深かったので。
http://ameblo.jp/nayuka-mine/entry-10227568801.html
http://d.hatena.ne.jp/Trou/20090323/p1
所感あれば読了後に追記。

2009-03-23

会えない時間が愛育てるのさ

渋谷にて朝イチの用を済ませた後、帰りの井の頭線を途中で降り、井の頭公園を抜け、上水のほとりを三鷹まで歩く。ほころびはじめた桜、マゼンタそのままの桃、早くも散りつつあるコブシなど、心地よくも花粉を含んだ風に吹かれつつ、前倒し気味の春を全身で楽しむ。鼻がつまっているので香りは希薄だけれど。

鈴木茂が大麻不法所持で逮捕され、はっぴいえんどを始めとする関連作品のリリースと流通が一斉に止められた。
そのことの是非は措き、私が思い出したのは70年代後半に、やはりはっぴいえんどの作品が入手困難だった一時期があったということだ。

もちろんその理由はメンバーの不祥事などではない。URCレコードの活動停止後に販売元となった東宝レコードが倒産し(※)、権利がSMSレコードに移行するまでの期間、「ゆでめん」や『風街ろまん』は音楽市場から消えていた。
その不在期間が後追いのファンの飢餓感を煽り、幻のバンド・はっぴいえんどの伝説化を助長したのではないかと想像する。中古盤を探すか、ラジオを偶然耳にするか、先輩や友人の所有するレコードを回し合うしか直接に音に触れる手段のない状況下に、商業作品の流通とは別の回路で伝説は維持され育てられていたのだ。

私が初めてはっぴいえんどの音に触れたのも、そのような時期に放送された、森永博志氏担当『サウンド・ストリート』でのはっぴいえんど特集によるものだった。初めて聴いた「はいからはくち」の大瀧詠一の異様なヴォーカルや松本隆の言葉の毒、そして鈴木茂の鋭く切れ込むギターには、わかりやすいロックの魅力が溢れていた。だが、より深く印象に刻まれたのは、細野晴臣作品「夏なんです」の、白い闇にも似た底知れない空虚の広がりだった。安全で微温的な「喫茶ロック」として消費される21世紀のはっぴいえんど像とは違う、アングラの香りがそこにはあった。

今、奇しくも同じようにはっぴいえんどの作品が市場から消えつつあるなかで、若い音楽ファンが初めてその音楽に接するのは、YouTubeやニコニコ動画の「作業用BGM」であるかもしれない。音域の限られた動画ファイルから流れるはっぴいえんどは、かつてモノラルの深夜ラジオから溢れ出した剣呑さを、ロック親父御用達の高音質紙ジャケCDから奪い返すことができるだろうか。
その音源がよりにもよって徳間ジャパンの、ある意味でレアなリミックスを施されたボックスセットのものだったとしても。

※この東宝レコードの倒産により入手不能となった四人囃子の名盤『一触即発』(74年)には、80年代末にCD復刻されるまで中古市場でプレミアが付いていた。

買い物メモ:書籍編(1〜3月 順不同)

といっても本は全然読んでなかったり。困ったもんだ。

米澤穂信『秋期限定栗きんとん事件』上・下巻(創元推理文庫)
小市民シリーズ第3作。瓜と狐の間には、たった3画にして超えられない壁が存在することを、狐のつもりが瓜でしかない読者に思い知らせる話。私は瓜の側に立つ(不本意ながら)。

堀江敏幸『おぱらばん』(新潮文庫)
折々のできごとが導く書物の記憶が、過去や異郷の記憶を連れてきて、今ここにいることの自明性が揺らぎ出すという作者のいつものアレ。その語りの胡散臭さも含めた完成度は本作が最も高いかも。
そんなことよりいつものアレといえばコレ。

あるいは事件以来たびたびすれ違っていた、黒い髪のロシア娘に年甲斐もなく恋したとでもいうのだろうか。(略)
彼女をください、あれは私の少女です、洋梨を盗んだ私の少女なんです……

毎度ながら、堀江先生のガチロリっぷりには頭が下がります!

あと自分で買った本じゃないけど、実家にあったので。

トム・ロブ・スミス『チャイルド44』上・下巻(新潮文庫)
スターリン体制下のソ連では存在しないはずのシリアル・キラーを追う捜査官の苦闘を描いて大変面白かった。とはいえ、これはやはりロシア人によって書かれるべき物語でなかったかとは思う。作者が20代イギリス人のテレビ脚本家ということを知れば「歴史の後出しジャンケン」というか「お笑い北朝鮮」的な色眼鏡を感じなくもない。本書がロシアで禁書扱いとなったのは、政治的脅威よりも「俺たちがスターリンを批判するのはいいが、お前らが笑いものにするのは許さん!」という愛国心の発露ではあるまいか。

2009-03-22

買い物メモ:CD編(1〜3月 順不同)

バンバンバザール『+』(05年)
クラムボン『まちわび まちさび』(00年)
同『ドラマチック』(01年)
シンバルズ『ザッツ エンタテインメント』(00年)
スクービードゥー『ビューティフル デイズ』(04年)
フライングキッズ『ホームタウン』(95年)
Jungle Smile『林檎のためいき』(98年)
高野寛『相変わらずさ 〜Best Songs 1988-2004〜』(04年)
Char『CHARACTER』(96年)
坂本龍一『グルッポ・ムジカーレII』(93年)
以上、帰省先の函館で、文教堂のレンタル処分ワゴンから10枚千円にて購入。シングルCD20枚で500円というワゴンも隣に並んでいたのだが、何せ20枚単位でしか売ってくれないという強者ぶり。冨田ラボの手がけた鈴木亜美のCDとか欲しかったんだけど、そのためには無用な19枚のCDを購入しなければならず断念(レンタルのステッカーが貼ってあるので転売も不可)。敷居が低いのか高いのかわからない。

MAHALIA JACKSON/HE'S GOT THE WHOLE WORLD IN HIS HAND ('87) ※50年代のライヴ盤。250円
BILLY PRESTON/THE BEST ('82) 500円
JELLYFISH/BELLYBUTTON ('93) 500円
FAUST/RAVVIVANDO ('99) 500円
生田敬太郎『風の架け橋』(74年)500円
Lamp『木洩陽通りにて』(05年)500円
以上ブックオフにて購入。

吉川忠英『こころ』(74年)1470円
ピコ『abc』(72年)1470円
オレンジ・カウンティ・ブラザーズ『ソープ・クリーク・サルーン』(77年)1050円
青山陽一『AOYAMA YOICHI SINGS WITH THE BLUE MOUNTAINS』(90年)625円
PANICSMILE『E.F.Y.L.』(98年)714円
ミッキー・カーティス『耳』(72年)945円
ラリーパパ&カーネギーママ『LASY ALBUM』(03年)473円
TAJ MAHAL/MO' ROOTS('74) 756円
以上、吉祥寺ディスクユニオンにて2度にわたり購入。

買い物メモ:漫画編(1〜3月 順不同)

岩本ナオ『町でうわさの天狗の子』3巻(小学館)
渡辺航『弱虫ペダル』4、5巻(秋田書店)
同『まじもじるるも』3巻(講談社)
同『制服ぬいだら』6巻(講談社)
蒼樹うめ『ひだまりスケッチ』4巻(芳文社)
かずまこを『純水アドレッセンス』(一迅社)
吾妻ひでお『地を這う魚 ひでおの青春日記』(角川書店)
イシデ電『月光橋はつこい銀座』(幻冬舎)
入江亜季『群青学舎』4巻(エンターブレイン)
岩岡ヒサエ『土星マンション』3、4巻(小学館)
紺野キタ『つづきはまた明日』1巻(幻冬舎)
林家志弦『はやて×ブレード』9巻(集英社)
岩原裕二『学園創世猫天!』5巻(秋田書店)
kashmir『デイドリームネイション』2巻(メディアファクトリー)
小玉ユキ『坂道のアポロン』3巻(小学館)
よしながふみ『大奥』4巻(白泉社)
勝田文『プリーズ、ジーヴス』1巻(白泉社)
石黒正数『それでも町は廻っている』5巻(少年画報社)
桂明日香『ハニカム』2巻(アスキー・メディアワークス)
中村明日美子『曲がり角のボクら』(白泉社)

ユリイカ』2009年3月号 特集*諸星大二郎(青土社)
あと、現在唯一の購読雑誌であるところの『週刊少年チャンピオン』

なじかは知らねど突然更新

とりあえず、今年買った諸々の記録などから。