日々のつぶやき

2008-07-03

おまわりさんに捧げる唄

昼日中に近所を自転車でうろついていて、久しぶりに職務質問を受けた。それなりの数の人々の注目を浴びて逆上してしまう。といっても警官に暴力を振るうわけでも、逃走を図ったわけでもない。せいぜい登録証の照合に「早くして!」と苛立ちを隠さず声を上げたり、終いに「お仕事ご苦労様です」と嫌みがましくも高らかに言ってみたりしただけだ。一刻も早くこの場を離れたいと自転車を走らせながらも、胸の不快なざわめきが抑えられない。

職質がきっかけで抵抗が生じ、結果的になにがしかの「犯人」が生まれる。「疚しいことがないならなぜ逃げた、抵抗した」というが、疚しいことがないからこそ全力で逃げもし、抵抗もするのだ。
職質は間違いなく人を傷つける。よりにもよって人通りの中で、しかも普段の生活の場で、自分が社会にとってイレギュラーな黒い羊であると決めつけられる、いや見抜かれる屈辱。不特定多数の人間の中から自分を選び出した警官の炯眼。いやまったくあなたは正しい。だがその正しさは自分の尊厳を賭けて否定したい。私を呼び止め、人前で不審人物と認定する権利があなたにあるのかと、言葉にする前に体が反応し、自分が本来立ち会う必然性のない状況から離れようとすることの、どこに非があるのか。理不尽に矜持が傷つけられたという屈辱感は、暴力衝動をかき立てるのに充分だ。
このとき自らもまた警官にとって恐怖の他者であり、職質はその恐怖を乗り越えて社会への脅威を未然に取り除き市民を守ろうとする勇気ある行動なのだという、警官側の立場に向かう想像力は、自分がいま不当に社会から排除されようとしているという衝撃の前に軽く奪われてしまう。実際職質を受けている間、私は警官に対する憤りのほかに何も思うことができなかった。暴力行為に及ばなかったのは理性というよりも、単に身体反応の鈍さの賜物かもしれない。

とはいうものの、自転車を走らせながら、このことを日記に書きつけようと頭の中で言葉を組み立てるうちに怒りは鎮まり、妙に多い警官の自転車とすれ違うころには、もう何人か声かけてきてくれないかな、同一人物への一日の職質数の記録作りたいな、そのたびに丁寧に答えてやろう、などと薄ら笑いで考えていたのだった。こうして書きながらも、あのときに感じた屈辱や怒りは、確かにそれを感じたという事実として覚えているものの、もう再現するのが難しくなっている。

職務質問によって犯罪者になってしまった人々と私の間に大きな違いはない。今頃彼らは、もはや怒りを失った自分を留置所に茫然と見出し、私は眠れない夜に駄文を弄している。それでも私は、あのとき警官に対して確かに凶暴な思いを抱いたのだ。

……まあ、最近職質受けてなかったからなあ。職質慣れするとへらへら受け流して済むんだけどね。不審人物としての自覚が足りなかったよ。反省反省。