日々のつぶやき

2008-08-06

さびしい王様

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀 —宮崎駿のすべて〜「ポニョ」密着300日〜』を観た。心に引っ掛かって仕方がないのが、『カリオストロの城』から『風の谷のナウシカ』に至る数年の空白期を語った部分で、宮崎駿が漏らした一言だ。

「あのスタッフがいちばん良かった」

インタビュアーはスルーしたが、誰にともなく呟くように、この言葉を宮崎は2度繰り返したのだ。

「あのスタッフ」というのは、『未来少年コナン』で出会い、『カリオストロの城』に流れ込み、「死の翼アルバトロス」「さらば愛しきルパンよ」そして『名探偵ホームズ』をともに作ったテレコム・アニメーション・フィルムのスタッフのことだろう。近藤喜文や友永和秀、山本二三ら若い、しかし宮崎と10歳ほどしか違わない精鋭たちが集い、しかも宮崎を見守るように大塚康生が鎮座していた当時のテレコムは、宮崎に従うだけのイエスマンの集団ではなかった。「さらば愛しきルパンよ」製作時の『アニメージュ』座談会では、宮崎の特異な女性観や感覚の古さをも肴にし、『ホームズ』試写では「これだけ手間をかけたのだからもっと情感などほしい」と感想を述べたという。宮崎以外のスタッフがイメージボード(アイデアスケッチ)を提出したのは『ホームズ』だけではなかったか。そこには宮崎に迫ろうとする若い世代と、宮崎をフォローする先行世代の、理想的な「仲間たち」がいた。

「ここで企画を通さなかった者たちには怒りを感じますね」
宮崎は真顔で言い放つ。当時最強のスタッフは、しかし藤岡豊社長の「『リトルニモ』を海外との共同製作で世界公開する」という妄執にも似た夢に翻弄され、スタジオの旬を失ってしまった。その宮崎の無念は、当時同時公開された『ナウシカ』と、テレビアニメ『ホームズ』との歴然たる完成度の違いを見ても察して余りある。もし『ナウシカ』が、松本アニメや富野アニメのSFアニメ全盛期にテレコム製作で発表されていたら、その後の歴史はどうなっていただろうか(もっとも『ナウシカ』は、急揃えのスタッフによる画面の凹凸が魅力でもあるのだが)。

今の後継者のいないスタジオで、創作のコアをただ一人で支え続ける宮崎駿。スタッフの福利厚生に努め、子供に優しい笑顔を振りまく一方で、スタッフを罵倒し、すべての原画を修正し、あるいは完成原画を一目見て修正もせずゴミ箱に捨てる宮崎駿。民主的な仲間同士の繋がりを求めながら、結局は抑圧者として振る舞わざるを得ない、孤独な独裁者としての宮崎駿の顔が、隠蔽しようもなく立ち上がってくる。もしテレコムが成功していたら、せめて近藤喜文が生きていたら、今の宮崎の孤独はなかったのではないか。

その孤独感は、かつての同僚・奥山玲子の死に触れた部分で頂点に達する。「(夫の)小田部(羊一)さん、隠してたんだよ」とやり場のない憤りを漏らし、「俺の周りは櫛の歯が欠けたようだ」と、対等の「仲間」が去っていく悲しみを露にする。イエスマンに囲まれた寂しい王様が、夕焼けを見ながら「死んじゃったら夕焼けも見れないねえ」と呟く姿がもうやりきれない。番組の基調には「『ポニョ』に秘められた母への想い」「仕事にかける命がけの真剣勝負」という「いい話」に収束させようとする意図が窺える。にもかかわらず番組全体から漂うのは「巨匠の晩年の孤独」と、「どれほどの想いを込め、どれほどの努力を費やそうが、作品は出来上がったものが全て」という、「プロフェッショナルの残酷さ」だ。

「人を楽しませたい」という願いと、その成就が自分の存在意義と宮崎駿は語る。私は『崖の上のポニョ』を楽しんだが、その楽しみはこの番組によって、また複雑に苦味を増してしまった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ポニョまだ観てません。
ジブリの鈴木なんとかプロデューサーがやり手で宮崎駿ブランドを作ったのかも知れないが、もう一度高畑勲と組んで、おじいちゃんどうし喧嘩しながら面白いもん作れないもんですかねえ。ジブリに若手が育たない以上、それがベストのような気がします。

marron(風街まろん) さんのコメント...

ポニョはいい映画館で観といたほうがいいですよ。他にない映画なのは間違いない。私も高畑監督で新作作るのがベストだと思いますが、そのためにはポニョが小コケする必要があるかなあ。